人と違うことへの不安 と 特別

自分の物心がついたのは小学5年生の時。ずいぶん遅いって言われることが多いし、なんでそんなにはっきりわかるのって聞かれることもある。これは、私の中には確かなタイミングがあった。ある日突然、口に出さないで心の中でしゃべることができるようになった。

それまで住んでいた場所は子供も人も少なくて、閑散とした場所。電車の端っこの駅の、さらに奥。住んでいた当時はそんなこと全然気にしたことなかったけど、大人になってから訪れるととてもさみしい場所だった。行っていた小学校は廃校になって、当時住んでいた社宅も取り壊された。市営住宅にまばらに人が住んでいるような状態だった。

小学5年生で引っ越した時に、大きなカルチャーショックを受けたんだと思う。まず一学年の人数が4倍以上いた。圧倒的に大人も子供も数が多かった。そして兄弟が多い子が多かった。私は4人兄弟なのだけど、3人、4人兄弟はクラスに何人もいた。6人兄弟の子もいた。その影響もあるのか、みんな同じ年齢とは思えないくらい大人びていた。当時の自分には本当に知らないわからないことだらけで、でもわからないなりに新しいことが楽しくて、なじみたくて、色々必死に楽しんでいた。

多分そのころからなんとなく、自分と自分以外の人間との違いを感じていたんだと思う。いまだに違いに関しては怖いと思うことが多い。自分がやっていることに自信がないのもあるし、みんなとどうして違うのかがわからないことがある。悪目立ちすることへの不安もこのころにできたんだろうな。圧倒的な異分子になって初めて、自分が異分子であることに気づいて、自分と似たような異分子である存在への周りの反応に気づいて、怖くなった。友達にグループがあるとか、悪口を言うとか、好きな人ができるとか、意地悪をするとか、全部が衝撃だったしついていくのに必死だったし、でもそれができれば自分も大人になれるような気がしていた。誰にも嫌われたくなくて、嫌われるのが怖くて、あっちにもこっちにもいい顔してスパイみたいなことしてた。ある意味、あのころからもう「自分は特別だ」と思いたかったのかもしれない。(私は「特別」への気持ちが強い。また別の記事で書く)みんなと同じことして嫌われなければ、溶け込めてると思っていた。

大学では「自分と人との違い」そんなに強く感じなかったけど、一年浪人した自分はみんなと違って特別だとどこかで思っていたような気がする。所属していた研究室も、自分の学科の教授じゃなかったりしてちょっとイレギュラーだった。大人になってからも、ほかの人がしない選択をした自分に気づくことが何度かあった。自分は平凡な人間だと常日頃思っているけど、実はちょっと違うのかも、変わっている人まではいかなくても、みんなとはなんかちょっと違うのかもしれないなってこの年になってやっと認められるようになってきた。

それがいいとか悪いとかではないけど、自分にとって「人と違うこと」と「特別であること」は似ているけど違う。うまく言えないけど、そこに誰かからの尊敬とかあこがれとかポジティブなものが含まれると特別になるし、それはつまりネガティブなものが含まれると人と違う異分子になってしまう。私自身はいつも異分子として扱われる人を見ると怖くなる。自分もそうじゃないかって、そうなりかねないっていつも思っていたから。この感じは大人になるにつれて少しずつ緩和されているけど、一生消えることはないと思う。


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