雑談ができる人は貴重だと思う

雑談は得意じゃないけど、できる人がいる。不安や心配なく、普通に楽しく笑って話せる人はいて、自分から話しかけることもある。多くはないけど、少なからずいる。

雑談には不安が多い。いつ終わるのかわからないことが不安。何が正解かわからないのが不安。雑談していることで怒られないかが不安。ほかの人も聞いているであろうことが不安。生まれてくる「間」や「あいまいな感情」が苦しい。だから苦手。できなら避けてしまう。

それでも気兼ねなく雑談ができる人と、できない人・したくない人の差は何だろう。

まずは状況があると思う。話ずらい状況だと当然話せない。私の精神状況も大きく関係していると思う。心に余裕があるときはできても、いっぱいいっぱいだったり人と関わりたくない気持ちの時は話せない。あとはやっぱり、話しやすい人がいる。大なり小なり気を使いながらでも、話していてラクだと、楽しいと思える人たちがいる。

きっと、そういう話やすいとか話しにくいって差がない性格の人もいるんだと思う。ただ私はいろんなこと気にしすぎて、勝手に一人で不安や緊張を募らせるタイプだから、その不安や緊張の生まれやすさで変わるのかもしれない。

苦手な「間」だったり、空気だったり、そういうものがあっても気にならない人もいる。間違ってしまったらすぐに謝れる人がいる。いやだったら嫌だと、望むことがあれば伝えられる人もいる。そういう人たちがいてくれるのは本当にありがたいことだな、と思う。

自分からはなかなか難しいけど、せめて雑談のできる雰囲気の人ではありたいと思う。話しかけやすい人。重度の方向音痴だから道を聞かれるのは困るんだけど、知らない人に道を聞かれる人は話しやすい雰囲気を持っている、と聞いたことがある。そういう人って話さなくても、そばにいてくれるだけで何となく安心する。一緒にいて嫌じゃない人だと思う。

そういう人間になりたいな。一緒にいて、苦じゃない人。全員には無理でも、そういう存在でありたいなと思う。

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