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楽しみすぎる、なんてことはなくても

昔、友達と旅行に行ったときに、友達が「明日が楽しみすぎて」と書いてある紙袋に入ったパンを買っていたのがやけに印象に残っている。明日が、楽しみすぎて。なんて素敵な言葉だろう。

まっすぐに何かを楽しみにするのは素敵だ。でも、私は上手にできない。いつも不安な私は、どんなに楽しみなことの前でも不安になる。むしろ、その楽しみが大きければ大きいほど、不安は大きくなる気がする。

小さいころからそうだった。遠足とか、運動会の前の日は不安で眠れない。運動会に関しては前日どころかリレーの朝練が始まる前の日も不安で眠れなかった。

自分の中に浮かんでくるイメージの、ポジティブとネガティブのバランスが悪い。例えば運動会なら、一番で走り抜ける想像もするのだけど、躓いて転ぶとか、バトン落とすとか、そういうことも想像してしまう。一つポジティブなイメージをしたときに、五つのネガティブが生まれるような、そんな比率で私は未来を想像してしまう。

あとは、終わった後のことを想像して悲しくなる。これもよくある。こんなに楽しみなことが終わってしまったら、私はそのあとどうやって生きていくの、と思ってしまう。毎回どうもならずに普通に生きているのに、飽きもせず、まだ来ていない未来を私はいつも怖がる。

そんなんじゃ楽しみきれない、と言われたら本当にその通りだと思う。全力で楽しみにしている人とか、全力で楽しんている人を見ると、まぶしいなぁと思う。

でも楽しみきれてなかったとしても、私はなんだかんだ言って楽しんできた。楽しみきった人から見たら十分には見えないかもしれないけど、私はずーっとこのペースで楽しんできたし、楽しく生きてきた。これが私の心地よい楽しみ方なのだと思う。

楽しむときだってマイペースでもいいはず。100%楽しみ切ることができなくても十分幸せを感じれるなら、それはきっとラッキーだ。不安でもやっぱり楽しみだと思えることを、これからも見つけていきたいと思う。

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