『悩むことって、贅沢かも』(愛理)

こないだ、初めてひとりバーなるものに挑戦した。


…うん、そわそわする。


隣の人はさっきから物思いにふけっている。
奥の人は窓の外を見ている。


私も真似事をしてみたけれど落ち着かない。慣れていない。
文庫本を出しては、仕舞い。
スマホを開いては、閉じ。
バーテンダーさんに話しかけられ、陰キャ全開で噛み倒してしまった。


私の指が、助けを求めるように動く。

「1人飲み 何する」


「1人飲みではぼーっとしてみましょう。
普段の生活では1人で落ち着けなくても、ここでは考え事に耽ることができます。」

…そうか、考えごとができるって当たり前じゃないのか。

私は昔、色んなことを考えてしまう自分が嫌だった。
悩みや考えごとが少なくあれたらどれだけいいだろうかと。


今はそんな自分との付き合い方を見つけた。
そんな自分も嫌いじゃなくなった。


けれど、


家に帰ったらいくらでも悩める、いくらでも考えられる。ぼーっとできる。思いっきり泣いてみることも、自分と向き合って整理することも出来る。



いつでも浸れる。
実はこれってとても“贅沢”なのかも。


おとなになったら浸れなくなるのだろうか。
お酒の力を借りはじめるのだろうか。
それとも、私がまだおとなの浸り方を「知らないだけ」なのだろうか。


それなら、知りたいな、と思う。
でも、このままでもいいかもな、とも思う。


わ、もうこんな時間。
そろそろ帰らないと終電が無くなっちゃう。


ぱっと顔を上げ、ちらりと横を見た。
わたし、ずっと隣の人と同じポーズをしていたみたい。

少し恥ずかしくなった、金曜日。


清水愛理

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