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推しとヲタクの関係

どうも、お久しぶりです。

今日は最近ふと考えることが多くなった推しとヲタクの関係について書こうと思う。

私自身、中学3年くらいから某ジャニーズアイドルにハマって、高校時代はアイドルと共に過ごしていた。グッズにはたぶん10万くらい使っているし、貯めていたお年玉やお小遣いは全て高校時代のアイドルグッズ代によって空っぽになってしまった。

しかし、大好きだったアイドルは活動休止をしてしまった。そのとき私は「もう自分にとっての心の支えはなくなったんだ」と毎日のように悩んだ。だが、こうゆうのって大体は時間が解決してくれる。私は高校3年から受験勉強に本腰を入れ始めて、あまりアイドルのことを考える余裕もなくなり、大好きだった推しからはだんだん遠ざかっていった。

今になって思うことは、あの時間っていったい何だったんだろうってこと。たくさん買ったグッズも推し活に使った時間も、もう返ってくることはない。大金持ちの推しに貢ぐだけ貢いで自分に返ってくるものは束の間の幸でしかなかったのだ。いわば、推しはドラッグのようなものなのではないか?

まず、推しって言葉自体、ここ数年前から聞くようになった言葉である。昔はファンとか親衛隊?とかそんな言い方をしていただろう。ここ数年、推し活!推し!尊い!積む!のような世の中になってしまっているが、この言葉ってメディアが作り上げたビジネス的な流行に過ぎないのでは?と正直、思う。私たちヲタクはメディアの策略にまんまと引っかかってしまっている。

推し活してるヲタクの方にはいろいろな年代の方がいるけれど、特に10代や20代は若い大切な時間を推し活に費やしているわけで…。それって非常にもったいなくない?って私は思う。(ヲタクが言うのもアレですが) 貴重な若い時間は、自分のためになることに費やしたほうが、将来的にはよいのではないか。だから私はこれから、貴重な大学での時間を自分のためになることに費やしていきたいと考えている。

今現在、私は他の事務所のアイドルを推しているが、過去の経験で学んだことを活かして、使う時間と労力は最低限に抑えるようにしている。グッズはライブに行くときに必要なものだけ購入し、CDに関してはシングルは購入せず、アルバム2形態まで(多い?)しか買わないように心がけている。音楽はサブスクで聴けるからね。とにかく今、推し活をしていたことを将来、後悔しないような推し方をしようと思う。

そして、いつか、私は推しより大切な存在を見つけてしあわせになりたい。大切な人が見つかれば、きっと推しのことも自然と忘れていくと思う。推しは束の間しあわせを与えてくれるけど、大切な人は束の間のしあわせではなく、永遠のしあわせを与えてくれるだろうから。

推し活は悪いことではない。しあわせも与えてくれる。しかし、度を超えた推し活は自傷行為になってしまう。いい塩梅で応援することが現在の私たちヲタクに必要なことなのではないか。

今日はここまでにします。
読んでいただきありがとうございました。

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