雛菓子のこと
立春を迎え、ラジオから聞こえる天気予報では暖かくなると
言っていたけれど、ダッフルコートを羽織る
みんな、晴れた日が続くから少し浮き足立っているんだ
「ひなの巣」へむかう階段をのぼりながら思う
わたしの職場はお煎餅工場の2階にある吹寄せを作る部署
通称「ひなの巣」と呼ばれている
この時期1階の工場ではひなあられの生産に追われ
ひなの巣では、贈答用の雛菓子作りが始まる
あられの素となるお餅を作りもここで行う
柔らかい餅に、あか、きい、みどりと着色をして小さく丸めていく
あられは、着色した餅を油で揚げた時、色の濃さによって出来上がりが左右される
この作業を担当する古賀さんは
着色料のさじ加減が絶妙で
今日も回転する餅のまえで着色料を入れるため匙をもって静かにたたずむ
その姿は冬の朝にぴったりだ
けれど、彼女の手首には幾重にも重なる白い包帯が巻かれている
「リストカットをする事がありまして」
数日休んだある朝、透き通る声で教えてくれた
「リストカットをする瞬間、目の前にある苦しいことから逃れることができる。
滲み出る血液とともに消失する感情が爽快感を与えるんです」と、
難しい言葉をつかい、わたしに話す
その話を聞いたとき、なぜか
夏の初めに神戸で見上げた赤いタワーを思い出し、
つつみの様に絡み合う赤い鉄筋が
真下から見ると末梢血管の模型の様だったと思う
白い皮膚にはわせたカッターを静かに引く
着色料のさじ加減と同じようにカッターへ加える力加減も
刃を滑らせる時気を遣うんだろうか
窓の外を眺めると赤い貨物列車が
ゆっくりと通過する
壁際に並べられた菓子箱を取りに行く
出来上がったあられや砂糖菓子、金平糖を机の前に置き、作業を始める
仕上げに、蛤(はまぐり)の内側に親王を描いた貝びなの砂糖菓子をのせる
出来上がった菓子箱のふたを閉める時
ふたの内側ついたシリコン製のパッキンを端から静かに押すと
ゆっくり密閉される
行き場のない空気がふたを閉めるとき抵抗を生む
古賀さんのことを少し思う
菓子箱に熨斗紙を載せる
彼女が描いた貝合わせをする少女の姿が熨斗紙に印刷がされている
水引で熨斗紙を留めて雛菓子を仕上げる
仕上がった雛菓子をもって席を立つと
先ほどまで立っていた場所に古賀さんの姿はもうなかった