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知る・知る・見知る

雑談は流れてしまうからこそ何でも話せるし、
大袈裟に言うならその儚さに趣きがある、と
思うのだけれど、一方で楽しい瞬間や感じたことを
きちんと保存しておけたらなあ、と我儘に思う

まちあわせを変えたことによって、
ありがたいことに一方的な発信から
n:nになり、良い意味で私がいなくても成立する
せかいが広がってゆくのを目の当たりにする
私が中心にいるとは別に望まないし、
私を介さずに、知る人同士の会話を見ている方が
むしろ楽しいと思うから、とても恵まれている
と噛み締めるばかりなのです
たとえば、14両編成にいかばかりのひとが乗車
していたとしても私が知る人も、私を知っている人もそこにはいることはほとんどないし
私を知ってくださっている人がいたのだとしても
のぞみなきことも、set me freeもあるわけで
物事は常に自分の思い通りになどなるわけがない
(それを私は望んですらない、必然の予定調和に
安心こそあれど、驚きはないのだから)

少ないながらも私を知る人がいて
私に何らかの定義をしてくれて
同様に私もそれをして、
それらのプラスのベクトルが向き合う
それは、どれだけ貴重なのだろうと思う

本当に私の書いているこんなくだらないことばを
目にしてくださる方がいるのだとしたら
(そんなことがないのがnoteだけれど)
全員にお会いしてお話をしてみたいと思う

私から見える私も、外から見える私も
私から見えるせかいも、他者から見えるせかいも
そのどれもを見逃したくはない、と思うから

人見知りだし、人と話すことはとても怖いけれど
可能な限りにおいて、お会いして話してみたい
そんな気持ちは強い
SNSでいうような、インフルエンサーだとか
人脈づくりなんていう胡散臭いことではなくって
毎日溢れるほどの人のなかにいて、話せない人が
99%な中で、束の間でもお話を聞けたのなら
学びはさぞ多かろうと思うし、私のなかに燻る
人のこわさも少しは減るのかもしれない
(いや、増える可能性も多分にある)

どうして話そうと思ってくれたのですか?
そんな根本的なところからお聞きして
私は私を知りたいし、
それ以上に私はあなたが知りたいのです

確かめてみたいことがきっとたくさんあって
こころに留めたたったのひとつのことを
私の一部にしたいのだと思う
すべては学びなのだと思う

たんなるにっき(その134)

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