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SomedayとSundayの違いくらい分かる今日はSaturday

土曜日の居酒屋さんは騒がしく
見渡す限りあけすけとして楽しげ
それを咎めたりするつもりはまるでなくて
楽しそうだなあ、うらやましいなあと思う
人に合わせてテンションを調節することは
できるけれどお酒の力を借りて解放したことは
多分一度もない
つまらないわけではなくって、お酒くらいで
鎧(いや着ぐるみくらいの安っぽさか)を
脱ぎ捨てられるようには出来ていない
いわゆるスカしているだとか軽蔑するだとか
そういう悪辣さはまるでない
むしろこんな喧騒のなかで
ほとんど変えない表情をダウンライトで
照らされている自分自身に嫌悪すらする
何か声を発してもかき消されてしまうから
思わず口を閉ざしてしまうのは
普段の生活とおんなじで、面倒がらずに
もっと声を張るくらいが本当は丁度良いのだと思う



毎年NHKの18祭を楽しみにしている
今年はBUMP OF CHICKEN
不思議なもので毎年出てくるアーティストは
とても好きな部類に入る
(単に多くの人から支持されているアーティストを
選定しているだけなのかもしれないけれど)

観ながら毎年情けないほどに泣く
それは未だに18歳の過渡期の彼らと
同じ目線にしかいないことなのかと思うと
やっぱり情けなさがこみあげるのだけれど
私はどれだけ時間と思考を重ねても
初期衝動のままで、未成熟のままで、
そして、生きることに不慣れなのかもしれない

けれど時間だけはありありと過ぎ去るから
テレビの向こうで可能性と時間をたくさん
持っている彼らとは私はどんどん差が開く

嗚呼、星座が見えないなあ、なんて嘆くより
未来が見えないよなあと思ってしまうあたり
立派に世間擦れしてしまっているのだけれど
何だか未成熟なままでいるアンバランスさに
いい加減疲れてしまう

大きな声で話して訴えかけて
周りが笑う様を見て
そんなの意味がなくても明日には忘れてしまう
ことだとしても、そういうのがあるからこそ
人は明日も頑張れたり、笑えたりするのだろうな

もっともっとフォームなんか崩して
情けないほどに声を枯らして喚いたら良いのに
と、他人事みたいに自分のことを思う

嗚呼、硝子窓に映らないで欲しいから
何も頼みもしないのにメニューを眺めた


たんなるにっき(その105)

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