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活発でないと認められない?


私はあまりしゃべらない、いわゆるおとなしい子だった。
特にしゃべりたいことがあるわけでもないのに、その場の時間を埋めるための、さして意味のない会話、というのが苦手だったのだと思う。



男の子と比べて、女の子は特に、おしゃべりを通じてのコミュニケーションが求められる度合いが高いと思う。
おとなしいと思われることは、マイナスに働くことも多かった。


グループに分かれての発表など、なにかとグループ分けが多かった小学校時代。
グループ分けの時、おとなしい私と一緒のグループになりたくない、と言われてしまったこともあったっけ。

そんな私だったが、発表は割とする方で、通知表の評価はいつも、おとなしいけれども、自分の意見をしっかり持っている、だった。
おとなしいイコール自分の意見がないということでは決してないと思うのだが、得てしてそのように受け取られがちだと思う。
活発でなけれならない、という圧力はかなり強い世の中だと思う。 


活発な子が良いとされている世の中で、常に息苦しさを感じていた。
母からも、もっと活発にならなければダメだと言われ続けた子ども時代。
おとなしいと言われるたび、人並み以下だと言われているような気になった。
そのままの自分では認められないのだと。


活発イコール自己主張が得意、おとなしいイコール自己主張が苦手、ということはあるかもしれない。
会社の面接でも、自己アピールが常に求められる。
いかにうまく自己アピールが出来るかが、合否に大きく影響する。


だがしかし、社会に出て感じることは、会社というものは、なるべく個性を消して、自分の意見は極力表に出さず、上司や周りにいかに合わせられるか、会社のカラーに染まることが求められる。
そこに、大いなる矛盾を感じる人のは、きっと私だけではないはず。









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