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無駄に大変なことが多すぎる2


「私の企画書がなかなか通らないのはどうして?」
「稟議書が差し戻された理由がわからない」
こういうことで、日々悩んでいる人も多いのではないだろうか。
しかし、そもそも、さしたる理由なんて、はじめから存在しないのかもしれない。


「事前に申し送りをしていたのにも関わらず、稟議書が、よくわからない理由で差し戻された」といった声が、周りからよく聞こえてくる。
そういう場面を頻繁に目にするうち、そもそも、さしたる理由などないことも多いのではと感じるようになった。
ただ単に、自分の威厳を保つという目的のためだけに、稟議書を差し戻すといったことが、私の職場に限らず、日常的に行われているのかもしれないと。


「なんでもすんなりと通したのでは威厳がない」「自分の存在感を示せない」「威厳を保つことが、自分の立場を守るために、何よりも重要だ」そんな風に考える人も世の中にはいるのだろう。
企画書がなかなか通らないのも、ただ単に、「若い人の企画書をすんなりと通したのでは、自分の威厳が示せない」と思っているだけ、という場合も多いのではないかと思う。


仕事の効率より、何より、自分の威厳を保つことを重視する人達…
私の職場では、全くと言っていいほど、「仕事の効率を上げる」ということが語られることがない。
企画書に目を通したり、稟議書の決裁をしたり、会議をしたりするのが主な役割の人など、仕事の効率を上げられては困る人も、世の中には一定数いるのだろう。



なかなか進まない仕事、無駄に大変で本当に必要なのかどうかわからないような業務、そのことによって生み出される残業…
労働人口が増え続けていた時代には、効率の悪さを豊富な労働力と日本人の勤勉さ、忍耐力でカバーしていたのだろう。しかし、労働人口が減り続けている今の時代には、もうこのやり方は通用しないことは明らかだ。


高度成長期には、深夜残業、サービス残業も当たり前だったようだ。
栄養ドリンクのCMで「24時間戦えますか!」という歌が流れて話題になったりしていた時代。
若い時には薄給で我慢し、役職に就いてからの昇給、退職金で若い時の労働分を回収できる、そういう構造だったのだろう。



働き方改革が提唱されても、終身雇用が崩れたと言われる昨今でも、この構造はさほど変わっていないのではないかと思う。 
若い社員の給料は安く、役職に就いている人のお給料は高い。あまり働かない人ほど、高いお給料をもらうという構造になっていると感じる。
部下に檄を飛ばし、無理難題を課すことが役目だと思っている人も、まだまだ多いのではないかと思う。
この構造が変わらない限り、日本の生産性は下がるばかりだ。












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