鬼について(グロテスクな頭部を持つ人?)
今日は頭がふらついたので、仕事を休みました。
ふと、「鬼」の字源を思い出しました。
やたら大きな頭の人。
今の実感はそんな感じです。重くて大きいのが載っかっていてフラフラしてしまう。
今のような感じが「鬼」なのかなぁ?
僕の今は「鬼」?
心配なので白川静「字統」を読み直してみました。
鬼とはもともと人屍の風化したもののようです。
それで残りやすい髑髏だけが大きく感じられたのかもしれません。
昨日も言いましたが、これは中国での感覚。
中国文化の入る前の日本での感覚はどうだったのでしょう。
こんなページがありました。
https://www.kanjicafe.jp/detail/7819.html
「日本の鬼の交流博物館」は、全国各地の伝統芸能や民芸品、絵巻や絵画、びょうぶ絵、さらには瓦などに見える鬼を網羅的に紹介し、鬼とはいったい何なのかをさまざまな方面から考えさせてくれる、非常に興味深くて面白い博物館です。
この博物館では、「鬼」といえば恐ろしいものと多くの人は考えますが、鬼を人の禍福(わざわいとしあわせ)を支配する、人間と非常に親密な存在と考えています。だからここに展示されている民芸品の中には、きわめて愛くるしい顔をした鬼もたくさんいます。鬼だってこんなに愛くるしければ、節分の時に豆をぶつけられずにすんだことでしょう。
あつじ所長の漢字漫談21「鬼」の話
日本人に残っている感覚?
集めて眺めてみれば人の禍福のタイミングに現れるものなのかもしれません。支配とはすると言っても鬼の働きはどんな姿で現れたのでしょうか。
日本巫女史を書かれた中山太郎さんだったかなぁ?
前方後円墳の前方の四角い部分は死体が風化されるまで、そこで皆が集まり飲食をしていた場所と書かれていたように憶えています。弥生後半の頃です。
縄文の頃、住居の側に埋め立ていたと言うことからも死者と生きている人との間はもっと近いものだったのかもしれません。
神のような受け止めだったから支配と言う感覚となったのかもです。やがて山に上り皆を見下ろしていてくれる。
富山では二上権現、牛岳権現、船峅権現などなどと身近な山が信仰の対象となっていました。仏教が入り権現の形をとりましたが、神のいる場所だったのです。
(やがて密教が入るにつれもっと高い山にその地は移って行きましたが)
日本の人?縄文の人にとっては
もののけ姫の『もの』に近かったのでは?
と思います。
モノのケハイを姿にしたのがもののけ姫です。
ケハイでしかモノは感じられません。
その見えないところの共通点で穏(おん→「オニ」)と言う語で移し替えてしまったのでしょう。
中国文化の紹介者、陰陽師達の仕事だったのかもです。
身近な山にいる私たちの神(モノ)は、話せる相手でもあったかもしれません。縄文の頃に感じていた世界を知りたいと思っています。
鬼のような頭を抱えながら、思い浮かんだことです・・・。
余談
頭でっかちの人の形から生まれた鬼の字
ウーン
素直に捉えて「頭でっかち」の人は「鬼」?
確かに、そんな気もする。