見出し画像

「おばあちゃん、どうして生理用品持ってないの?」

祖母との思い出は良いものばかりではなく、恥ずかしいこともある。多感な時期には何度か反感を抱いたこともあった。

祖母とは同じ県内に住んでおり、小学校高学年になると電車とバスに乗れば一人で祖母の家に行くことができた。初めて祖母のアパートに一人で泊まりに行ったのは小学校5年生の時だった。

私は思春期が比較的早く、ほとんどの子が中学生くらいで経験する親へ反抗や感情の起伏、世間への強い疑問などのややこしい感情を小学校5年生で抱えていた。家にいても悶々とすることが多く、一泊でも親から離れて祖母の家に行けることが嬉しかった。でも親から離れて嬉しいなんていう感情は親に対して申し訳ないという気持ちもあり・・・。まあそういった込み入った感情の海に浸かっておぼれていたデリケートな時期の話である。

私は初めての生理(初潮)も比較的早い方だったと思う。11歳だったと記憶している。でも始まったばかりの頃は周期も整っていないし、数ヶ月に一度たまに来るくらいの感覚であまり準備もしていないことが多かった。学校に行く時はいつも持っている生理用品も、身内の家に行く時までは持ち歩いていなかった。でもそういう油断している時にこそ、数ヶ月に一度のものがやってくるのだ。

朝起きて焦った私は当然のことのように祖母に尋ねた。
「おばあちゃん、ナプキンどこにある?貸してくれる?」
祖母:「台所の上の棚にあるよ」
私:「いや、そのナプキンじゃなくて・・・。食べる時に使うやつじゃなくて・・・生理の時の・・・」
祖母:「え?せ、せいり?はっはっはっは!おばあちゃん持ってるわけないじゃないのよ!あっはっはっはっは」

祖母がなぜ笑うのか、私はさっぱり分からなかった。
「おばあちゃんは女の人なのに持ってないの?」と聞いても、大笑いしていてぜんぜん答えてくれない。

ある程度の年齢になると生理がこなくなり生理用品は必要なくなる。それは当時の私の知識にはまったくないものだった。学校や家で生理について教えてもらった時、先生や母親はそんな話はしていなかったような気がするが、もしかしたら私が聞いていなかっただけなのかもしれない。どちらにしても祖母に尋ねるまでまったく知らなかった。ナプキンは駅前のドラッグストアまで歩いて買いに行った。

その日の夕方、父と母が私を迎えに来て一緒に帰ることになっていた。せっかくだからとみんなで夕食を食べた。その席で祖母が、今朝の私のおかしな発言を発表したのである。
「だからね、おばあちゃん持ってるわけないよって言ったのよ~」と祖母。
みんな笑っている。何も知らないくせに妹までつられて笑っている。

どうやら何かとても基本的なことを自分は知らないらしい。でも教えてもらっていない。尋ねてはいけないことなのだろうか?いろいろ考えを巡らすうちに、この多感な時期の私はなんだかとてつもなく孤独を感じ悲しくなった。

みんなの前で涙を見せるのが恥ずかしかった私は、急いでトイレに逃げて声を出さずにたくさん泣いた。なぜ自分はこんなに分からないことばかりなのか?なぜこんなに笑われているのか?悔しい。悲しい。

今思えば、その場にいる大人があっさり教えてくれてもよさそうなものである。でも当時の私は思春期で本当にややこしく複雑な子どもだった。教え方一つ間違えると不安定になる可能性もあった。そういったことも考慮して、あえてその場では教えなかったのだろうか?しかも自分の感情を表すのが下手だったので、私が泣くほど悲しい気持ちになっていたとは誰も思わなかったはずである。

ちょっとほろ苦い思い出ではあるけれど、これから娘を育てる私にとって思い出せてよかった出来事でもある。子どもの無知は「かわいい・面白い」という理由であっても笑わない方がよい、と親になった自分に言い聞かせている。大人になれば「笑われて嫌だったけどまあそんなこともあったな」程度のことでも、その時は確実に傷つくものだから。

祖母とはこういうちょっとした行き違いのようなことで、私が一方的に傷つくのはよくあることだった。明るくて隠し事がなく外交的で開けっぴろげな分、多感な時期の内向的な私には「そんなデリカシーのないこと言わないでよ!」と思うこともあった。でもそんな祖母だからこそ、長生きだったのかもしれない。

子育ての教訓にもなっているし、このほろ苦い生理用品の話は「良い思い出」に昇華させようと思う。これも含めて祖母との思い出なのだから。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?