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Noを言える人になりたい。

今日はとても疲れているので上手く文章が書けるか分からないのだけど、いつも同じ失敗をしてしまう自分へその想いを書きます。

私は小さい頃から、「優しい」って形容されて生きてきました。考えてみたら常に人のことを考えて(見て)いて、困ってそうだなぁとか、自分がこんなことしてあげたら相手は喜んでくれるだろうなぁとか、そういうことに気付いて行動出来る子でした。

中学からの友達に言われたことは、私はどうやら神様みたいにふわふわしていて、優しくて、天使のよう、らしい。笑


私は友達を失うことが怖い。

中学の頃いじめられてて、あの時の手のひらを返される感じと、孤独だった感じがまだ消化されていないのかもしれない。深く自分に突き刺さったままなのかもね。

または、SNSの普及によりたっくさんフォロワーがいる友達や、毎日大人数で楽しそうにしている人を見て羨望や嫉妬を無意識にしてしまっているからかもしれない。

自分にとって大切な人に、これやって?とか、ここ行かない?と提案してもらうと、誘ってくれたのが嬉しいくて、何人かいる友達の中から私に声をかけてくれたのが嬉しくて、真っ先に『yes!』と言ってしまう。

留学当初は英語もまだまだ慣れてなく友達がいなかったから、余計に今友達がいることに対して有難いと思ってしまう。

でも実際、私は大学の勉強に精一杯で、郊外に住んでいるから買い物に行くのも大変で、だからこそ休日は勉強やショッピングに充てたいはず。

yesを言ってしまってから段々と、え、勉強は?来週テストあるけど?え、今週フルーツ買いに行きたかったんだけど?と不安になり、しまいに嘘をついて断ってしまう。

そしてまた私は人を傷つけることに敏感なので、相手がどんな反応をしているのか、落胆していないか(恐らく落ち込んでいると思う)、怖くなって反芻思考に陥り、深く落ち込んでしまう。

っていう過程をまさに今経験している。

私が現在大学で仲良くしているロシア人の子は、タイで生まれ育ち、第一言語を英語としている。

私は一生懸命勉強してどうにか授業について行っている所を、彼女はクラブ活動をして、外でジムに行って、友達と遊んでも高得点を取れてしまうし、一番最初に授業内で行われる小テストを終える。

そんな英語ペラペラな彼女が私と仲良くしてくれる事が嬉しくて、信じられない思いで、
それに私も彼女の前では自然体でいることが出来て、何より話すのが楽しい。似ているなぁと感じる。

だからこそ、誘われると勢いでyes!と言ってしまう(言ってしまった)。

でも、来週テストがある。最近ようやく高得点を取れるようになってきたから、本気で今週末勉強したい。やっと授業に着いて行けるようになった(半年かかった)。
私の意見では、遊びと勉強、どっちも一緒にすることなんて出来ない(大抵勉強が疎かになる)。


未来の自分へ

私がNoを言ったことにより離れて行く人は本当の友達になれなかった人。

だし、自分の為にもNoを言って欲しい。
何でもかんでもフッ軽がいいってわけじゃない。

留学してるからって、出かけまくったり友達と遊びまくったりする必要は無い。確かに、人との関わりは大事だけど、譲れないものは1つが限界で、全てをいっぺんに持つことはできない。

私が不器用なのもあるけどね。

最近日本語ゼロの生活すぎて、夢まで英語で見るようになりました。マレーシアは暑いです。

Noを言わないと、自分、を持てない気がする。

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