アドラー的視点 カフェで叱る母親を見て、子育てを妄想してみた。
「なんで、そんなことするの?お行儀悪いでしょ?」
片田舎の本屋に併設されたカフェでの出来事。
ソファーの肘掛けに座って騒ぐ子供。
注意をする母親の叱る声が響いた。
そんな言葉を尻目に、アドラー心理学の観点から子育てについて考えてみた。
母親は本気で子供の行動を注意しているのか?
母親の注意は表向き子供の行動に向けたものだ。
しかし、結果を見てみよう。
注意された子供は一瞬、母親の注意に従う。
肘掛けに座るのをやめて、きちんとソファに座る。
落ち着いたかと思いきや、数分経てばテーブルの間を歩き回り、大声ではしゃぎだす。
周りからしてみたら、さっきより迷惑な状態だ。
母親は怒気を荒げて、更に注意する。
「周りの人に迷惑でしょ?こっちに座りなさい」
子供は従うでもなく、母親の方を振り向き、すぐさま本屋の方に消え去ってしまう。
静かになったことに安心したのか、先程まで怒っていた母親は安堵の表情を浮かべる。
ママ友に対しては、いつもこんな感じなの…とおどけた表情を見せる。
果たして、母親は子供の行動を本気で注意したかったのか?
しつけをしたかったのか?
疑問がつのった。
叱られた子供の気持ちを考えてみよう
時を戻そう。
本屋にあるカフェにやってきた。
お母さんはママ友とゆっくりお話がしたいみたい。
僕のことなんて気にもしていない。
僕はお母さんと一緒にいたいんだ。
気づいてほしい。
肘掛けに腰を掛けていたら、お母さんが注目してくれたんだ。
「なんで、そんなことするの?お行儀悪いでしょ?」
座ってみたよ。
お母さんの横に。
お行儀よくしてみたよ。
でも、お母さんはまたお話に夢中になっちゃった。
そうだ、今度はカフェの中を動き回ってみよう。
ウロウロウロウロ。
あ、お母さんが気づいてくれた!
「周りの人に迷惑でしょ?こっちに座りなさい」
そうか!
お母さんは僕のことなんて気にしてるわけじゃないんだ。
周りに迷惑にならないようにしたいだけなんだ。
もういいや。
探検にいってこようっと。
原因論ではなく、目的論に立ったアドラー心理学
アドラー心理学では原因ではなく、目的に注目する。
人の行動は何かが原因ではなく、何か目的があると考えるのだ。
表向き、子供に注目をして注意をしているが、本音を言えば
ママ友とのお話に集中したいから、子供には大人しくしててほしい
ということ。
子供に対して愛情を持って叱っているわけでは決してない。
子供の目的は、母親に注目されること。
母親の目的は、ママ友とお話しをすること。もしくは周りに迷惑をかけないこと。
お互いの目的のベクトルが違うから、そもそも両立が難しいのかもしれない。
アドラーの教えで一歩先に進んでみよう。
では、二人の目的を達成するために何ができるだろう?
例えば、、、
まずは子供が注目を集めようとする前にこちらから注目する。
普段できていることに注目して、感謝を伝える。
注目されることを目的としている子供は、母親の言葉に自己効力感が高まる。
その後、こうやって一緒にカフェでお話できることもなかなかできないことだから助かっているよ、と伝える。
子供はただ座って一緒にいるだけで注目されているので、目的は満たされている。
次第にママ友との話に夢中になると、子供の集中力は切れてくる。
母親の注目という目的から、他に興味が移り変わる頃だ。
そしたら、子供にこう聞いてみる。
「お母さんたちはもう少しお話したいんだけど、どうしたい?」
子供は一緒にいるか、本屋で楽しむか、自分で選択できる。
自分の道は自分で選択することができるという信念(自己効力感)が育まれるのだ。
目的が達成できずに仕方なく本屋に行くのか、
自分で選んで本屋に行くのか、
そこには大きな違いがある。
私が子供だったら、小さな頃から自分で選択する経験を積みたいし、
私が親だったら、荒げた声で注意するようなことはしたくないな、
と思った休日の午後だった。
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