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紙の舟 ep.14

都立大学の件以降、僕はカウンターに入っても江とはそのことに関しても話すことはなかった。何も無く、ごく自然な日常を維持していた。江も取り立ててそのことにこだわる素振りもなかった。そんなある日
「早瀬さん、あの人おかしいよ。朝から仕事もしないで遊んでいる。」
江には、年金生活者や老人がパチンコをするのは分かるが、昼間からパチンコをする若者が許せないようだ。
パチンコに関わる仕事をしているので、パチンコを生業とするパチンコプロの話も耳にしているのだろう。
カウンターに清算に来る若者に「あなた、ちゃんと仕事をしなければだよ。」と真顔で話す。若者も心得たもので「へへへ。」と笑いながら、毎日のように店に顔を出す。
そんな江が、気にしている事があった。社長の娘だった。
江が働き始めた頃「あの人、誰。」と聞かれたことがあった。
「社長の娘さんだよ。」と応えると「私、あの人嫌い。」と言う。
理由は聞かなかったが、いつも夕方に社長の車で店に寄り、事務所で簡単な処理をして帰るのだが、ベンツに乗り店に顔を出す時の華やかさが江には気にいらないのかも知れない。もしくは、自分との距離を感じているのか。
いつも僕は七時には休憩で家に戻り、夕食を子供たちと食べ、軽く睡眠を取って九時には店に戻るのだが、社長の娘はその頃店に顔を出して夕方に主任が集金したお金を受け取り事務所に入ることが習慣となっていた。そしていつも江とは顔を合わすことになる。

その日も僕は休憩を取ってから店に出た。
事務所に入ると店長が僕に「江を馘にしたよ。」と言う。
江が何か失敗をしたのかと、あわてて店長に聞いた。
「社長の娘さんが来て集金カバンをもらおうとすると、カウンターから投げてよこしたと言うのだ。娘さんは怒っていてね。ワシも慌てて下に下りて、景品倉庫に呼んで怒ったんだ。そうしたら泣き出してそのまま出て行ってしまった。」と言う。
「もうあの子、来ないだろう。やったこともそうだが、仕事も投げ出したのだからな。馘だよ」
僕もそうなってしまうだろうと思った。江らしいと言えばそれまでなのだが、僕の指導に何か問題はなかったのだろうか、そのことも気になった。
やがて店長はホールに下りて行った。
暫く内務の仕事をしていると、階段の下で怒鳴り声が聞こえ、二人が争いながら二階の事務所まで上がって来る。
パチンコ店ではこのような事はよくある。不正をしてパチンコ台から玉を出すゴト師を捕まえて事務所で処理したり、店内での喧嘩処理やヤクザとのいざこざで怒鳴り合いながら事務所に上がって来る事も多いのだ。
やがて事務所のドアが開き、言い争う二人と、その後に一人の女性が不安そうに入って来た。
僕も一緒になって怒鳴り合うケースではない事は見てわかる。
短気な店長と言い争っている男性は、顔を真っ赤にして怒鳴り散らしている。僕は、ついて来た女性に話しかけた。
「どうしたのですか。」
すると女性が話し出した。
「私の妹が帰って来て、何も言わずに部屋の隅で泣き出したの。そこに主人が帰って来て、いくら聞いても答えてくれないので、何か嫌がらせを受けたのかと主人がお店に来たのですが、怒鳴り合うだけで。」と言葉を詰まらせている。
すると怒鳴っていた男性が「江小薇だ。俺の義妹だ。」と言ってきた。
事情が呑み込めたので、その夫婦を僕の前に立たせ、事の次第を説明した。
二人は黙って聞いていた。

社長の娘に江が現金バックを投げつけ、そのことを店長が注意すると泣きながら店を飛び出したという簡単な構図は、二人には理解できたようだ。さっきまで真赤になっていた男性も平常に戻っていた。
店長も「そういうことだ。」と言い、さっきまでの興奮も引いていた。
「分かった。そういうことなら義妹に非がある。悪かった。
自分が板前の仕事を終えて家に帰ると義妹が泣いていて、家の奴も訳が分からずにいたので、訳を聞くのに店に来たのだが、パチンコ屋なので下手に出ると馬鹿にされると思い、勢い込んで来た。悪かった。」
そばに居た彼女の姉さんも「ごめんなさいね。」と頭を下げた。
これ以上話す事も無く、二人は事務所を後にした。
事務所を出る時男性は僕に頭を下げて言った。
「頭に来ていて後は暴れるしかないと思っていたが、あんたが冷静でいて助かった。」
二人と店長は一緒に階段を下りて行った。下で、江の今後について話すのだろう。
僕は、パチンコ終業近くにホールに下りた。カウンターには担当女性と主任、店長も入って客の精算処理をしていた。
僕はホールコンピーターの前に立ち、閉店の曲「蛍の光」のテープを聞きながら残留客数の表示を見ていた。台の上には江が作った紙の舟が、寂しく佇んでいた。


僕には、バタバタした事務所でのこと以外に、心の中で重苦しい気持ちに襲われていた。
僕は江に何を指導してきたのだろうか。何を理解して来たのか。
外国人として、最低のことはしてきたつもりだったが、江が日本の何を理解し何に怒っていたのか。
江の態度は、日本人としてのルールに従わなかったことから来ている。
郷に入れば郷に従えとは、日本のルールに従えというもので、日本での共同生活を送るための最低限の生活ルールだったはずだ。
そのルールは誰が、何のために作ったのだろうか。
違いを知り、相手の文化を尊重し合える関係を築いた上で、友人になるという自分の考え心情は、言葉の上では正論だろうが何処か欠けてはいないのだろうか。
僕は江の話から、中国社会の中でも知識人としての自分、国民党員だった祖父の話から、中国社会の中でも父親も労働者としても疎外されている事、江自身も友人もいなく、独りにいる事で苦しんで来た。
僕は、理解と言う言葉の薄さを感じた。江の考え、気持ちに沿う事が出来なかったことを今更反省している。
使用人として、取り換え可能な商品としてしか対応できていなかった。
そんな商品の立場から見える日本や社会を、中国で見ていた社会や世界と比較しながら、抑える事の出来ない心の傷を、僕は知ることも出来ず、理解もしていなかった。つまり、僕は江にとって、何の役目も慰めもはたしていなかったのだ。
ひょっとして、このことは江だけではなく、日本に来て働いている外国の人にも言える事かも知れない。
日本人社会の中で、日本人自身でも隣同士が理解し得なく、孤立を囲っている人も増えているという。自殺も増えている。特に若い人に。学校でも、仕事場でも。
僕たちは、のほほんと生活し、自分の生活のために仕事をして暮らしている。
それが当たり前で過ごしていて、今回の江に関して何もできなかったことは、自分の役職の指導の不十分と括るだけでは、何も解決しない事が分かった。
江は、会社の規則、ルール違反で首になった。そしてそれは周りの従業人を納得させるのには有効だ。
しかしそれは、特に外国人が日本で暮らしていくことの、心の解決には至らないだろう。
江が折った紙の舟は、荒海の中を渡って来た小さな船に乗ってきた人の心も運んで来たはずだ。
江は、どんな気持ち、願いを折り込んでこの紙の舟を作ったのか。

江はそれから店に来ることはなく、二度とその顔を見る事はなかった。
暫くはホールコンピューターの上にあった紙の舟も、いつの間にかその姿を消していた。


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