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紙の舟 ep.4

江小薇は、まずタバコの球数と、そこに表示されたカタカナをメモし、読み方を周りに教わりながら覚え始めた。
と同時に、各商品に対応するコード番号を暗記し始めた。これまで誰もしようとしない事だ。ヒマな時、手板を睨むように持った姿が暫く続いた。
それだけ自己のもつ日本語に対するハンディを努力で克服しようとする気概が篭っている。
ここでうちの店のカウンターでの労務工程を紹介しておこう。
初めてパチンコのカウンターに入る人には、まずレジ操作に馴れてもらう。
客がジェットカウンター(玉係数器)に玉を流し、ボタンを押すと横のチケッターから球数が刻まれた細長いチケットが出てくる。
客はそのチケットを係の女性に渡すと、彼女は素早くポスにチケットを挿入しデジタル表示された数字(球数)を見て注文を受ける。商品を打ち込みながらデジタルは減算表示されてゆき、最後残り玉は端玉商品で細かく客に渡していく。
愛想よく的確に作業を進めなければならない。
両替景品がそのほとんどを占めるが、現金と同じような物なので、それだけに正確でなければトラブルの元になってしまう。
このことに馴れた後、カウンターの奥にあるホールコンピュータの操作を覚える。
ここでは打ち止め台、補給トラブル台の番号がコンピューターに音声出力され、表示された台番号をカウンターからホール係員にマイクを通じて報告し、打ち止めもしくは玉の追加操作を行う。
通常、ここカウンター奥のホールコンピューター室を指令室と呼ぶ。
 
カウンターの女性たちは、このレジ操作と指令室の作業を同時にこなさなくてはならない。
そしてその他に、朝は掃除と倉庫から商品を出して補充し、球数のラベル貼りをし、伝票を付け、営業中は両替景品の積み上げを行い、営業後は全商品の残りの在庫調べをして日報に記入してゆくが、この最後の作業は二人で手分けして三十分ほどかかる。これらが、カウンターの女性の仕事だ。
江はレジの仕事を難なくこなしていた。
先に辞めさせられた主婦は、ポス操作がなかなか覚えられなく立ち往生していたのだ。反対に江は、暗記したコード番号を手板で探す同僚に即座に伝えて手助けするまでになっていた。
僕は他店舗も見ているので、いつもパチンコのホールに顔を出すわけではないが、用のある時には努めて彼女に話しかけるようにした。
「どう、この仕事に馴れた?」
「はい。色々覚えるのが楽しいね。この店、パチンコする人多いね。皆、暇なのか。あの人十枚もチケット持ってきたよ。」
江には、昼間からパチンコをしたり、開店から閉店まで座り続ける人のいることが、不思議でしょうがないらしい。
「ここは商店街で女性客も多いし、そして老人も多いだろう。子供に手がかからなくなった婦人や退職した人が、他に遊びがなくて来る人も多いんだ。」
「若い人も多いね。パチンコを仕事みたいに来る人いるの、ビックリするね。ちゃんと仕事しない人だめよ。」
勤勉な日本人をイメージしている江にとって、この世界に遊ぶ人の存在がまだ理解できていない。その上に、パチンコの何が面白いのか、その遊びの仕組みも分からないようだ。聞くと、お姉さんも義兄さんもパチンコはしないという。
「日本人、どう思う。皆良くしてくれた? 義兄さんは、いい人?」
「うん、日本人、皆親切ね。お義兄さん、とてもいい人よ。義兄さん板前さんだよ。」
「もっとも、日本人も中国人も、人間は皆同じだよね。」
「いや違うよ。中国人だめよ。日本人、良い人沢山いるね。」
「中国の男の人は、どうなの?」
「私、知っている人、普段は良い人ね。役人だった。でも、ころっと変わるの。自分の立場を守るために、ウソまでつくの。私、それを見て、嫌になった。もう、信用できなかった。」
これは彼女の体験なのだ。中国に残した彼女の恋人だったのだろうか。
「私、中国人好きでない。私、中国人とは結婚しない。」
彼女は、自分の過去と決別するつもりでいるのだろう。僕は彼女の傷の深さを推し計っていた。
「今は国際化の時代だ。好きになったら国境は関係ないからね。日本人で君に合う、素晴らしい人を僕も探してあげなければね。」
何気なく彼女を覗くと、仕草は商品を揃える振りをしているが、顔は耳朶まで真っ赤になっていた。
こんな会話で赤くなるような純情な女性が今の日本にいるであろうかと思い、率直に恥じらう彼女に内心驚いてしまった。
「ところで、せっかく日本に来たのだから、色々覚えなくてはね。この仕事だって、いつか役に立つだろう。そして何よりも、多くの友人を作ることだよ。友人というのは、ひとつの財産だからね。」
「友人、ね。」と彼女は、友人を暗唱している。僕は紙に朋友と書いて新知識・技術の必要と併せて、漢字で箇条書きにしてあげた。
彼女はその紙を手に、暫く考えるように見つめていた。

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