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エゴンシーレ展0203.2023

東京都美術館で開催中のエゴン・シーレ展に、今月頭に行ってきました。

https://www.egonschiele2023.jp/?gclid=Cj0KCQiArsefBhCbARIsAP98hXQpeBIouh8zikLx7SvyXS4QN09Rws4BHzeHH-3OO-ErL9ARxpjV4WQaAivKEALw_wcB

当日は日時指定で入場しましたが、平日にも関わらず人が多くて少しびっくりしました。
主催者の粋な計らい?で、開催日から2月9日までは大学生・専門学生は無料だったので、私も学割で入場させていただきました。
若い方がそこそこいらしたのは、それもあったのかも。

そんな若い人にささる、というのがシーレの作品の醍醐味かもしれません。

等身大と思わせる写真が随所に。

私にとってシーレの作品は、

ウィーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末への道(国立新美術館)

会 期 2019年4月24日(水)~8月5日(月)

以来のかと思います。
当時の初見時は、大変失礼と思いながらも…
病んでそうな人、というイメージ。
ほんの数点のみでしたし。

とかく20世紀初頭にかけての芸術家は、一風変えて、世の中に衝撃を与えなければ!が強めな印象で、あらゆる手法の再構築だったり、固定観念の打破が随所にみられます。
派閥やサロン、しいては国や階級を越えた人と人との小さな結びつきによって作り上げられていった、あらゆる人、大衆にに向けての作品が華開いていったのではないでしょうか。

18〜19世紀、ウィーンは大変だったんだろうし、あらゆる情報が爆発したんだろうな…とチョイかじりの世界史から推測にすぎませんが。

病むでるかもしれない感情を作品にすることで、昇華する。
生きていくために必要な表現活動であり、進化の過程の1つだったのだとも思っていたのですが、今回彼の作品群をみて、単なる"やみやみ"イメージは払拭されました。
彼の若き才能と、ウィーンのあの時代でなければ描けなかった衝動が、絵の変化からも読み取れた気がします。

以下は、鑑賞中に思いつくままスマホメモに打ち込んだ内容です。
絵は載せません。

画家名、 番号(図録より抜粋) 、 タイトル
メモ

※写真撮影可能な作品もありましたが、私は目で見て図録で復習して満足するタイプでして。場内でパシャっとするのがあまり好きではなく…
もし来場済みで図録がお手元にある方がいましたら、そんなこと考えたの?なんて心の中でツッコんでください。

クリムト展の図録と。

クリムト 11赤い背景の前のケープと帽子をかぶった婦人
生きてる 帽子はぼやけてる こちらに遊ぼうと言ってるような

シーレ 23菊
赤黒い背景 人の顔のよう

カール・モル 26シェーンブルン
明るい 幸せそうに見える木漏れ日

カール・モル 27冬のホーエ・ヴァルテ
々少し溶けかけの雪?奥はまだ新雪のようだけど

シーレ 28山腹の村
ウィーン分離派からの影響.平面と層の重なり
ラフ?サイズ感が良い。黄色がアクセント

クリムト 30シェーンブルン庭園風景
子連れの通行人 3組 実際はどんな所だろう

アルビン=エッガー・リンツ 33昼食スープvr2
大きい
おじさん多め 多分会話なし だけど、暖かくて、辛みがない。
でも、多分午後の仕事を頑張るにはカロリーが足らなそう

コロマン・モーザー 38洞窟のヴィーナス
黒髪の女神、珍しい気がする
モデルの影響は強そう

コロマン・モーザー 43キンセンカ
葉っぱをえがきたかったのかなぁ。
たくさん書かれているのに1枚1枚が独立してる
みずみずしい

コロモン・モーザー 39レザン、41山脈
山と空のコントラストが素敵
自然を前にして、余計なことが出来なくなったのかもしれない

シーレ 52自分を見つめる人 2 死と男
視線が絡まない
でも濃い赤にはまだいのちがやどっているような力強さも

シーレ 53叙情詩人自画像
こちらはほんのり死に近い 儚さ、無情さ

シーレ 51鬼灯の実のある自画像
風が吹いたら落ちてしまいそうな鬼灯の実と合わせたのは何故だろう
若さ?自分のお気に入りの顔の角度?喉仏でおとこらしら?
白い背景も、自画像では珍しい?

シーレ 65母と二人の子供2
母と膝の上の子どもは、死にそうなくらいしんどいのに、母が寄り添う子どもは、場違いな服装に明るい顔。同じ愛を受けても、生死が子供をここまで、分けてしまう

シーレ 64妊婦
女性の体の変化

シーレ 57カルヴァリオヘノ道
主題がしっかりしてる でも不穏

シーレ 75モルダウ河畔のクルマウ 小さな街4
建造物というよりは、人の営みを描きたかったのかなっておもった。や

展示 1901 21歳
ウィーンからボヘミア行くも、追い出される。
うーん。

ココシュカ 80二つの視点から捉えた画家の自画像、チューリヒのヴォルフスベルク画廊でのココシュカ展のポスター
変な絵だけど、いい人そうなきがする

ココシュカ 78裸体の少女
すごく、立体的 3Dみたい

アントン・コーリヒ 89静かな女
飾り気のない優しい夫人。生活力ありそう

展示物 1909 女性に生かされた

シーレ 94カール・グリュンヴァルトの肖像
近くでみないとソファに座ってるって分からなかった。
どこをみてるのだろう。体をひねってるからシャツがダルダルなのだろうけど。
階段の踊り場とか上から俯瞰したような感じもする。

プロンシア・コラー=ピネル 97自画像
目元

リヒャルト・ゲルストル 95スマラグダ・ベルク
どこかで会ってるな…手前の明るさと奥の暗さ、その先にまた明るさ。

シーレ 106縞模様のドレスを着て座るエーディト・シーレ
奥さんLoveやな感じだわ
シーレ 107横たわる女
漫画絵的な
シーレ 113 49回分離派展
師匠Love

シーレ115しゃがむ2人
HUNTER × HUNTERみがある

作品コメントは以上です。
メモアプリ、クラウド連携をオンにしていたらものすごく電池を食ってました。
次回気をつけよ…

そしてこれは完全に個人的な愚かな願いかと確信しているのだけど、
もしも、もしもマルチバースがあって、シーレが毎日暖かい家で美味しいものを食べて、誰からも愛され、才能を認められ、充足した人生を送っていたらどんな作品になっていたのだろうか、と。
これはムンクやゴッホにも抱いてしまう現代人の、ただ絵をみることしかできない人間だからこそ考えついてしまう傲慢な思考だと思っていますが。


1918年10月、スペイン風邪で奥さんの後を追うように亡くなったシーレ。
28歳。
身持ちもしっかりした奥さんを迎え、その名の通り身を固めて、さらに子どもが生まれるという頃に。

人生において「ここから!」というタイミングは人それぞれではあるものの、きっと悔しかったろうなぁ。
この年は師匠であるクリムトも同年2月に55歳で亡くなっていて、新たなリーダーとしても期待されていたシーレの死によって、ウィーン美術の最潮期も終焉を迎えた…なんて書かれる始末。
でも、偉大でドラマチックな先人に負けじと、新たな才能の塊が芽吹いているはず。あらゆる時代がそうであるように。

もう100年以上昔の人なのに、2023年の今でも古さを感じさせないシーレの作品群。
も、もう一回観に行きたくなってきた!

そしてお土産はどれもオシャレでした。
思い切ってお皿を購入しました。
(入場無料でしたしね!)

GODIVAはベルギーだけどね!

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