写真はタイムマシン
noteを思い出のアルバムにしたいと考えている。
写真は個人的な気持ちで撮っている。誰かに見せたいという側面もありながら、撮った人と撮らせて貰った人の個人間で楽しめるものがいい。
通りがかった人が視線を向ける個展のような場所。心の引っ掛かりを保存した場所。誰にも見せないけど、ある日の時間の中に私とカメラがあった。そんな空間。
シャッターを切るごとに時を止めている。沢山の写真をまとめたアルバムは、何年経ってもある日に戻ることの出来るタイムマシンだ。
写真は一瞬の保存。文章は一日の積み重なり。一日は一瞬で過ぎていく。だから僕たちは一瞬をひとつずつ取り出して、目に見える形に変えて保存する。
誰の記憶からも今日の出来事が消えてしまうのは儚く、美しく、生きた証を残したいと気持ちの源となる。日常の中の何気ないひと時が愛しいのは、多くの人がその一瞬を見逃していたり、記録しないまま一日を終えているから。
スマホのカメラでは写真を撮らない。日常を切り取るのはくたびれたカメラがいい。自分の生きた年数、或いはそれ以上の月日を生きてきたカメラで撮りたい。
映画のように劇的なシーンは起こらない。退屈な時間の連続を日常と呼ぶなら、刺激のある時間は非日常だ。
カメラは日常と非日常の間を追う。映画館のスクリーンや部屋のテレビに流れる映像は、作品に関わった人達の夢を形にしたもの。今日も沢山の人達が誰かの見た夢と一緒に過ごしている。
いつかの日の思い出。今日の出来事。この先起こるかもしれない事。未来は写真にうつせない。本当にそうだろうか。
人や光に向けてシャッターを切るのは、これまでに撮ってきた写真が僕の心を動かすから。今の自分は過去の記録によって動かされている。初めて目にする景色への欲求と、日常の中でぽつぽつと生まれるイメージに生かされている。
長い間会えなかった人。会いたい気持ちを我慢していた人。遠くの街に住む人。撮らせて貰った写真を眺めて、ある日の記憶を思い出す。
空から差す光。風に揺れる木々。川の流れ。季節と湿度。何でもない会話。過ぎていく撮影の時間。
目を閉じるとひとつの風景が広がる。イメージの中であればいつだって過去に戻ることが出来る。写真によって保存された時間。ひとつひとつの思い出によって今の自分は形作られている。
机の引き出しから過去と未来へ。子供の頃に夢見ていた時間旅行の端っこは写真によって可能になる。旅の再開を前に、沢山の思い出を残すことを夢見ている。
model : とのさん
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