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批判に対する批判に対する批判

 夏になると何故か早く起きてしまうので、予定より早すぎて昼寝が習慣になりつつあります。#結果的には眠い

 自分にとって何が特別かとか、何をしなければならないかとか、何をやることに意味があるとか、そこらへんは人それぞれ絶対違うじゃないですか。だとすると場合によっては何をやっても誰かの特別なことになりうるわけなので、あんまりやたらめったら批判とかしてると、地雷なわけですよ。

 たとえば、「ゲームなんて人生的になんの意味もない」とか、「TVドラマなんて時間の無駄だ」とか言っちゃうと、隣にそれが好きな人がいたりするわけですね。あと、あとから自分がハマった場合に、「あの時の自分が無駄とか行っちゃったから始めにくい」感が多少出てきてしまうと。全然話飛ぶけど、二ノ国ってゲームがなんか、アニメーション凄くてやってみたい。音楽も久石譲だし。まあ時間ができたら。

 ってわけで、否定をすればするほど、周りの人間に敵が多くなるのと、未来の自分を敵にまわす可能性があるんですね。

 一方で。何かを好きになるってことは、何かを捨てることでもあるとは思うんですよ。なんでもかんでもやれるほど、僕らは時間無いじゃないですか、残念ながら。だからみんな精神と時の部屋に入りたいわけじゃないですか。ってことは、自分にとって大切じゃないことも多く存在するってことなんですよね。それに中道的な意見って聞いてて全然面白くないじゃないですか。今日は良い天気ですねとかさ。なんかエキセントリックだったり、偏ってたり、多少毒があったり、批判めいた部分もあったりしたほうが面白いんですよ。少なくとも興味は湧く。僕は。

 だから、批判に対してまともな議論が出来る人や、意見に対して人格否定をしないで自分と他人の価値観を切り分けたり擦り寄せたり出来る人や、主観的に熱く語れるものもありつつ客観的にひいて物事をみれる、みたいな人に憧れるんですよね。

 ふと思ったので、まあそんな感じ。みなさま、Happyでsmoothな1日を!


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