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想像力が権力を奪う

僕は小さい頃から本を読むことが好きで6歳の時に初めて「星の王子さま」を読んでそれから現在に至るまで様々な絵本や小説を何百冊と読んできた。小学生の頃金子みすゞに出会いみんなちがってみんな良いから蚊1匹すら殺したことがないし高校時代には太宰治の人生について3日間寝ずに考えたこともあった。そして大学に入ると様々な歴史的人物の自己啓発本を読んではノートに格言を書き下ろした。

「少年よ大志を抱け」

というのは専ら嘘で、僕は小さい頃から絵がない本が大嫌いだった。小学生の図書の時間は「はだしのゲン」を読んでいたし中学の朝読書の時間には本も読まずみんなを監視する先生は何様なんだと斜に構えていたし高校時代の朝読書では隣の席の友達の貧乏揺すりが気になって仕方なかった。お気に入りの本はいつまでたっても「ぐりとぐら」だった。

しかし、天地をひっくり返す様にそんな僕を小説好きへと転じさせるきっかけとなった一冊がある。

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村上龍の「69 sixty-nine」

僕が生きてきた21世紀では想像もつかない暴力的な日本の学生運動時代のワンシーンが舞台になっていて、ストーリーだけでなく描写や登場人物の生き様が刺激的で本の世界に釘付けになった。作品に登場する音楽もThe Rolling StonesやThe Doorsで、音楽を漁りながら小説を読み進めることが日に日に楽しみになっていた。何よりも村上龍の文体が当時想像していた"小説"という堅い固定概念をぶち壊した。当時もし朝読書の時間が一日中続いても何も苦には思わなかっただろうし、隣の席の友達の貧乏揺すりすら僕の耳には届かなかっただろう。(しかし、皮肉なことにこの本を僕に薦めてくれたのは貧乏揺すりの友達だったのだ!)

この一冊を機に、村上龍だけでなく村上春樹や小池真理子。海外のマーク・トウェインやJ・D・サリンジャー、ヘミングウェイ。お笑い芸人のオードリー若林やピース又吉。僕は大学生活中に気になった色んな作家の本を読み漁った。

けれど、ほとんどの内容は忘れてしまった。

なぜ本を読むのか。

僕はまだよく分からない。映画と同じように、本を読んでも記憶に残るほど印象的なシーンは少なく、殆どその一瞬の楽しみの為に読んでいる。時間を消費する為にただただ本を読む。ページの番号が2桁から3桁へと進んでいく。ただの時間潰しと言えばそうなる。

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けれど、そうやって何気なく読み進めていく中で、本当に稀に、僕の為に今までずっとページの片隅で息を潜めひっそりと待ち構えていたようなひとつの文章に出会えることがある。それが本を読む上で最高のひとときであることは間違いない。何かの答えを自分で見つけ出した気分になる。その一瞬の為にただ本を読み漁っているのかもしれない。

みんなは何が楽しみで本を読むのだろう。

今月はこの辺にしておこう。ちなみに僕の不動のお気に入りの小説 (短編小説) は村上龍の「走れタカハシ」だ。

興味ある方は是非。

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