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この1年で世界はまた大きく変わった。文字にしたらきりがないくらい、いろんなことがあった。落ち着いてきたもの、勃発したもの、良い方に変わっていくものも。

とはいえ世の中は世の中だ。そんな時に私は今、何を考え、何をしているのか。去年は4月1日に書いていた定点観測、ちょっと遅くなったけど、残しておく。


個人事業主になって、会社員のころに輪をかけて仕事をしてきた。仕事は楽しい。楽しいからどんどんやる。どこからが仕事で、どこからが仕事じゃないのかわからない。ワークアズライフってこういうのだと思っていて、それは幸せなことだし、時代に沿った働き方だなぁと我ながら思っていた。

コロナが来てから、外に出ることが減った。そのままそれが当たり前になって、いつしか、ふだん生活圏から遠くへは出なくなった。子供の成長のためには外出も旅行も必要だと感じるから、子供のために可能な範囲ではでかけた。だけど自分のことは何も考えていなかった。


そんな中最近、導かれるようにあるコミュニティに入った。
幸せな人生について考えるコミュニティ。
そこで私は、今まで考えてもいなかったことを突きつけられてしまった。

「仕事以外に、ワクワクすることを探してみよう」

私は仕事が好きすぎた。その結果、それ以外のことをどんどんなくしていった。オンラインのおかげもあって外に出ないので、外で誰かと何かすることもなくなった。趣味と聞かれればせいぜいyoutubeくらい。無趣味であることには気付いていたし、いろんな趣味や活動をしている人を羨ましいとは思ったけど、問題だとは思わなかった。だけど言われてみれば、仕事以外の、自分ひとりでワクワクできることって、今ないもんね?と言われたら否定できない。


私は社会で生きていくために多少の論理思考を身につけてきたものの、もともとは完全に感性型だ。論理より直感で決める方がうまくいくことが多い。都会の中でも春の匂いを感じ、道端の草に思いを馳せて生きている。だから別に都会でも生きていけるよ、と思っている。だけど、とりあえず、もうちょっと本当の自然に近いところに行ってみようと思い立った。

そして、行き先を決めた。とりあえず日帰り。
でも、なかなか行くことができなかった。

何度か子供の予定でリスケを繰り返した。それは仕方がない。ただ、今日こそ行けると思った日にも、私は立ち止まってしまった。

「誰とも約束していない。仕事でもない。あくまでも自分だけのために、子供を置いてわざわざ遠くまで行く必要ってある???」

…そしてその日、やっぱり行くのをやめた。


ずっと子供たちと一緒にいすぎて、すぐ戻れるような距離にしか行かなさすぎて、理由がないと子供たちと物理的距離をつくることができない自分に気づいた。家族は行ってきたらと言うのだから、私の問題だ。
だったらなおさら、一度行かないといけない。もはや、森でワクワクするとか以前に、家族と離れて、「わたし」に戻る練習をしないといけない。


そう感じて、やっと行くことができた。行ったら森にも川にも、空にも、ワクワクだらけだった。見渡す景色が大きかった。空が広かった。茂みの先に冒険を感じた。パソコンを持っていったけど、ウキウキしすぎてほとんど使わなかった。やっぱり、こういう場所に行くのは私にとって大事みたい。

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自分の感受性ぐらい
自分で守れ
ばかものよ
               茨木のり子「自分の感受性くらい」より

詩のとおりのばかものすぎて笑える。

いま、わたしに戻ろうとしている。めぐりめぐって仕事にも還元されそうではあるけど、今はそこは考えてなくて、ただひたすらに、感性を、ワクワクを、味わっています。

2022.4.8

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