見出し画像

ニュース✔︎:毎日新聞「記者の目」から見る霞ヶ関男子のモテぶり

 毎日新聞の「記者の目」コーナーは、取材している記者の本音に近い視点の記事が載っていることが多く、どうして本紙の記事ではこういう視点で書けないのかな、と思うことがよくあります。
 今日の記事は、私が「世紀の愚策」と呼ぶ、今後の避難指示解除の方式について前福島支局の記者さんが書いていました。

福島・避難指示解除に「手挙げ方式」 国は除染・解体、早期確約を=高橋隆輔(福井支局敦賀駐在・前福島支局) - 毎日新聞

 まず、内容については同意する部分もあります。ここは特にそうです。

重大な決定をする局面で、矢面に立ちたくない福島県を気遣い、国はたびたび憎まれ役を引き受けてきた。

本文から

 成田円卓会議について書いた隅谷三喜男氏の『成田の空と大地』を読んでいた時に気づいたことですが、成田空港問題があそこまでこじれた背景には、国の進め方の不味さもありますが、同じくらいには千葉県と当該自治体の無責任と事なかれと保身もあるのだろうと思います。けれど、本文のなかでは隅谷氏はほのめかす程度にしか触れていません。

 私の推測に過ぎませんが、これについては、隅谷氏や円卓会議の政治的配慮であるのではないかと感じています。紛争当事者となって矢面に立った国交省については批判してもいいけれど、千葉県や自治体については言及しない、という合意が関係者間であったのではないかという気がします。
 そもそも円卓会議の開催そのものが国交省からの依頼に基づいています。開催までの根回し過程において、千葉県、自治体は巻き込まない(矢面に立たせない)、という前提で、国交省は千葉県や関係自治体から開催の内諾を得ていた、という可能性も高いのではないでしょうか。

 その理由については、こうした国策を原因として社会的紛争になった問題について、県に責任をかぶせてしまうと、今後国の地方政策に協力してもらえなくなるから、であると思います。そこで、「ここはうちが泥を被りますので、今後もひとつよろしく…」という塩梅です。
 「責任感」と言い換えれば格好はいいですが、「打算」「馴れ合い」でもあるわけです。

 福島の被災地域対応についても、経産省のなかに意欲的な人がいることは認めます。誠実な人もいるでしょうし、痛切な責任感を持っている人がいることも認めます。ただ、彼ら個人の気概が政策的なアウトプットとして適切であるかは、まったく別問題です。
 ひとりひとりがどれだけ真面目であろうとも、経産省は、今後の原発を再稼働するためには福島復興を成し遂げなくてはなりませんし、福島県に責任を負わせられない(今後、他県の原発立地域県に協力してもらえなくなる)、というきわめて打算的なポジションでもあるのです。

 先日のNHKの「時事公論」もそうですが、かんたんに情にほだされ過ぎではないでしょうか。取材対象と緊張関係をもって付き合うべき職業記者としていかがなものかと思います。

 個人的な人のよさや誠実さと組織として打ち出す政策の妥当性はまったく別次元の問題です。政策なき避難指示解除が、どれだけ将来的な禍根を残すのか、コミュニティを壊滅的に破壊しつくすのか、もう少し考えてみてください。コミュニティなきところで、社会的生物である人間は生存することはできません。

 男性は、男性インテリが大好きなんだな、と思うことが非常に多いのですが、今回も男性インナーサークルでのうちわの馴れ合いがはじまったよ、、、という感想です。(颯爽と男ぶりがよくて、賢くて、仕事ができて、気もきく男性に対して、男性同士でものすごくデレデレしますよね。あれ、なんなんでしょうか。霞ヶ関男子、男からモテ過ぎでしょう。)

 でも、建前ばっかりで肝心なことは書かない本紙記事よりはおもしろかったです。

 避難指示と解除について、私の考えを過去に書いた文章です。↓

 

気に入られましたら、サポートをお願いします。