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ニュース✓:除染と環境省

「除染」というと、県内の友人が当初から言っていた言葉をよく思い出します。

「あれは、札束燃やしているようなものですよ。」
「こんなこと、他の国は絶対やらない。でも、この国はそれができちゃったし、実際やっちゃったんですよねぇ。」

除染工事は、元請けが大手ゼネコンであったこと、また工事そのものもきわめて単純な土木作業であったため、地元に流れるのはほぼ手間代のみ、それも飲み屋で消費するくらいで、新規事業創出や設備投資などの経済循環にはまわらない、という点からも、「札束を燃やしている」という比喩は的を射ていたと思います。

除染については、noteにもエッセイ的に何回か書いてきましたが、住民が強く求めたものであり、また、その心理的効果は絶大といいうるほどに大きなものであったことも事実です。ですから、コストベネフィットの観点からのみ、切り捨てるつもりはありません。ただ、あまりに多くの問題を含み、生み、残した、巨大すぎるプロジェクトであった、ということも事実であると思います。

毎日新聞の除染についての記事です。突っ込んだ話が出ていると思います。

しぼんだ除染事業 地元業者「今後は廃炉で食べていくしかない」 - 毎日新聞

そもそも、なぜ除染を環境省が担当することになったのか。
「廃棄物」ということが理由ですが、記事にもあるように土木業者に発注したり、用地買収もノウハウをもたない、しかも霞ヶ関のなかでは最後発で職員数も少ない環境省がこれだけの巨大プロジェクトをまかされたということから、尋常ではありませんでした。
当時から言われていたのは、環境省は貧乏くじを引いた、やっかい仕事を押しつけられた、ということでした。
もともとのノウハウのある農水省なり、国交省なりがもっと深く関与していれば、別のあり方も可能であったと思います。
実際、中間貯蔵施設の用地買収交渉も、こうした経験が豊富な国交省の職員が出向で加わるようになってから、飛躍的に業務が円滑に進んだという話も仄聞したことがあります。

記事中には廃炉事業に地元の業者が食い込もうと必死になっていることも書いてあります。それ以外にめぼしい産業が見当たらない以上、廃炉に食い込むしか生き残る道はないわけで、実際にそうなのだろうと思いますが、一方、廃炉オペレーションでまわる経済は、通常の原発稼働オペレーションに比べれば、格段に小さいというデータもあったと思います。

なにより、この先は作業の進捗状況によって工程、すなわち発注規模が大きく制約を受けること、また作業が進めば進むほど、専門的なオペレーションが多くなり、必要とされる人員は少なくなる(専門技能をもつ少数の人員で作業は動くことになるため)、また国が事業予算を決定することになるため、国政の判断に大きく左右されることになる(現在は国は廃炉事業を優先して進めていますが、この先はそうもいってられない状況になってくるでしょう)など、廃炉はビジネスとして考えたときに本当に魅力的なのかはかなり疑問を持ちます。

こうしてマスコミの取材にきちんとお答えになっているところを見ても、環境省は、よくもわるくも真面目なのだと思います。だからこそ、きっちり事業を仕上げてしまった。

徹底検証 "除染マネー" -NHKスペシャル

除染についての比較的突っ込んだ検証報道は、昨年のNスペが最初だったように思います。今月いっぱいで、帰還困難区域以外の除染廃棄物の中間貯蔵施設への搬入作業は終わります。その作業に従事していた人たちの姿も消えます。さらに明らかになる事情も出てくるのではないかと思いますので、引き続き取材を期待したいと思います。

帰還困難区域 "選択"迫られる住民は (時論公論)

現在進行形の帰還困難区域の将来についての、NHKの解説委員による時論公論です。

読んでいてため息しか出ないのは、その報道姿勢です。
除染検証報道を見てもわかるように、現実の現場では、それぞれのプレーヤーが「毒」をもっています。「悪意がある」と言いたいのではありません。100%善意であったとしても、権力関係が複雑に絡み、利害が大きく対立する場面ではその動きは毒を孕んだものにならざるを得ない、ということです。
多くの人の利害が複雑に交差する事象というのは、そういったものではないでしょうか。

誰ひとり嫌な気分にならず、誰ひとり損をせず、誰ひとり泥をかぶらないで、みんなが笑顔でよかったねよかったね、といえる選択肢が存在する場面など、世の中にはほぼ存在しません。誰かが泥をかぶり、誰かが泣き、誰かが苦しむしかない。そういう場面で、あたかも全員が「無毒」であるかのように報じるのは、実に罪深いですし、報道としては失格だと思います。
無毒であるかのように報じれば、報じている自分は嫌な思いはしなくてすみますし、誰にも批判されないと思いますが、一方、現実の毒はそのまま残され、無毒であるかのように取り繕ったぶん、さらに毒性を増していくのではないでしょうか。そういう意味で、実に罪深い報じ方だと思います。

意図的になにを書いていないのか、どこに配慮しているのか、なにをなかったことにしようとしているのか、私が先日書いた記事と読み比べていただければと思います。


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