見出し画像

短編「喪に服す」

「御不幸ごとでもありましたの?」
 田舎にある実家マンションのエレベーターで乗り合わせた女性から声を掛けられる。豪華な服を着ているわけではないのだけれど、言葉遣いやしぐさが上品で、思わず「貴婦人」という単語が頭に浮かぶ。
「あ、実は……」
 「そうなんです」とも、「違うんです」とも取れるような言い方をしてうつむき、言葉を濁す。こういう時、言いさし表現というのは便利なものだなと思う。
「そうですか。まあ、ご愁傷様でございました」
 婦人は「そうなんです」ととらえたらしい。こちらに軽く頭を下げて前を向き、エレベーターが五階に着いたと同時に、軽く会釈をしてを降りていく婦人の背中を見つめ、ふうと息をつく。背後にある一面の鏡を振り返り、自身の全身を映す。車椅子の人のためにあるらしい大きな鏡は、車椅子には一度も乗ったことのないわたしの姿も平等に映してくれる。そんなに喪服っぽく見えたかしらと、鏡に映る黒いスカートをつまむ。
 だって、数年前から見ているアニメの推しが死んだのだ、去年。待ちに待ったシーズン3が配信されてほとんどすぐ。一週間ほど屍のように過ごし、ほとんどトラウマのようになってそれ以上そのアニメは見れないでいる。というよりか、そろそろシーズン4が配信されるというのでシーズン1の一話から見直したのだが、推しが死ぬシーンで号泣して、推しのいないその世界を受け入れるのが怖くて、この先を見たら推しの死が現実になってしまう気がして、待って、無理、待って、ほんとに、無理……だけを繰り返す亡霊になってしまう。そんなこんなで、もう一年間は全身黒い服で過ごしている。喪に服しているからだ。プライベートの友人は最初から受け入れてくれているが、職場の人たちも初めは驚いていたものの今ではすっかり慣れてもらえたようだ。非常にありがたい。
 エレベーターが十四階に着く。久しぶりの実家で、きっとまた「推しは忘れて、新しい推しをつくりなさい」とか言われるんだろうなと思う。
「ただいま」
「おかえり。あ、あんたまた真っ黒で。もーあの推しのことは忘れて、さっさと新しい推しを作っちゃいなさいよ」
 思わず吹き出す。元カレじゃないんだから、と思うがあながちその解釈もいいかもしれない。いや、だめだ、推しは死んだんだ。やばい、泣けてきた。そんなことを考えながら、母の止まらないおしゃべりに付き合う。実家でのいつもの過ごし方だ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?