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創作・オンライン人間関係#1「ジャンルの切れ目が何とやら」

人間関係についてのお話を少し先日させていただきました。

これはそのお話を具体的にした、私の作ったありそうな架空の事例その1です。また続くかもしれません。


あるジャンルアカウントでの話


とあるジャンルのとあるカップリングにハマったAさんは、SNSのアカウントを作りました。

「同じものが好きな人と仲良くなりたい!」

そう思って自分の好きな作家さんをフォローしたり、萌え語りが好きな人をフォローしたりします。

そうしていく中で何人か、お話を普段からするような特定の人たちができました。話題はジャンルのこと、好きなキャラクター、カプのこと。

Aさんはとても楽しくやっていました。毎日盛り上がれる仲間がいることがとても嬉しかったですし、周りの人たちのことをとても好きでした。日々キャラクターやジャンルの話に明け暮れ、萌え語りに「わかる」といいねを押し、絵や小説を見てはいいねをし、感想を時には呟いて……

そんなあるとき、仲が良かったBさんから知らない作品のイラストがRTされてきます。

「なんの作品だろう? 新しくBさんが気になったのかな?」

そう思いましたが、Aさんにとっては知らない作品、興味もなく特に反応しませんでした。しかし、Bさん本人と、周りの人は違いました。

Cさん「えっ何このキャラクター、めちゃかわいいですね……!」
Bさん「そうなんです、●●という作品の××という子なんですが~~~~で……が、~~~~で……!」
Dさん「ちょっと詳しく教えてください……」
Bさん「Dさんはこの子もいいですが、この子の兄の△△というキャラがめちゃ好きそうです!」

……おかしいな、みんな自分のジャンルが好きだったはずなのに。
何かもやもやしたものを感じながらAさんは自分の好きなキャラクターやカプのことを呟きます。どこか釈然としないような、居心地の悪さを持ちながら。

そのときの呟きに、Bさんからいいねがありました。Aさんはちょっとホッとしたような気持ちになりました。

まだ、みんなと一緒に好きでいられる。みんなとつながっていられる。
言葉にすると、そういう気持ちだったのでしょうか。

しかしそこからBさんがTwitterで話しはじめたのは新しいジャンルのことばかり。Aさんと共通で好きなジャンルのことは、公式から新しい情報が出たときにRTして一言二言呟くだけ。

それに共通して周りの人たちも別ジャンルのことでかなり盛り上がっています。
Aさんはそのジャンルに興味がなく、話に加われません。

次第にその人たちとは疎遠になっていきます。ツイッターはつながっているし、きっと話しかければ普通に話もできるはずなのに、何を話していいのか分かりません。

どうして?なんで?あんなに盛り上がって、仲良くしていたのに。

Aさんはしばらくして、Twitterのアカウントを消すことにしました。
疎外感や孤独感に耐えられなくなってしまったのです。


「あんなに仲良くしていたのに」


さて、これは「ジャンル移動について」起こりそうなことごちゃ混ぜにした創作ですので、非常にシンプルな話に筋立てしました。ごく一般的にSNSなどで見かける相談事の中に頻発するようなケースとして取り上げ、特定個人を指すものではありません。

ここまで分かりやすく孤独感や疎外感に苛まれる状態はあまりないかもしれませんが、「何かジャンル変わって話し辛い…」というケースは、心あたりがある方も結構いらっしゃるのではないでしょうか。

「ジャンルが変わる」または「ジャンルが増える」ということの意味は、当然ですが人によってその重さも頻度も全く違います。何かを好きになることは、自分の意志でコントロールしきれるものでもありません。だいたい皆それを「分かって」います。

それを分かっているからこそ、「いなくなる」ことに喪失感を抱き、また「でもしょうがないことだってわかっている」と、自分を納得させようと試みるのかもしれません。


さて、ここで言うジャンルはいわゆる「環境」なのかもしれません。学校がかわったら、職場がかわったら、住む場所がかわったら。普段は一緒にお昼を食べたり、その環境内では楽しく話をしていたけれど、どちらかがそこから離れたらかかわりがなくなった、何となく積極的に連絡を取り合って、つながりを保っておくほどの関係じゃなかったなという相手、結構思い浮かんだりしませんか。

「趣味の場」というのは自分で選んでいます。それでいて、同人ジャンルのつながりというのはある意味では特殊なのかもしれない。仲良くなったつもりでも、実は「自分」と「相手」の間に接着剤のジャンルがなくなったとき、何もかもなくなったような感じがする。コミュニケーションのきっかけ、道具が、つながりそのもののようになっている。

私たちが「あんなに仲良かったのに」と振り返るとき、それは自分の中で愛している作品やジャンルへの気持ちとごっちゃになっているのかもしれません。


「分からない」と言ってみる


こういったケースで「苦しい」のはどのポイントなのでしょうか。私は「分かっているからこそ感情の行き場がないこと」も、一つのポイントなのではないかと思います。

要するに「どうしたらいいのか分からない」のです。

そういうときは「どうしたらいいのか分からない」と言ってみましょう。理屈では、頭では分かっているつもりだけど……と自分の感情を理屈で納得させようとすると、いつまで経っても心に折り合いが付かなかったりします。

自分はどうしたらいいのか分からないことを認めること。

それから、自分と相手の間にあったものをもう一度考えてみること。

「この喪失感の正体は何だろう?」を、考えること。
「一人ぼっちになったような」の「一人ぼっち」が、本当に現実的なものなんか立ち返ること。

「ジャンルを変わるなんてよくあることで、人に移動しないでって強いることなんてできない」のは当たり前とわかっているあなたは、とても現実的で物分かりがよいですね。

でも、それを「話し相手がいなくなって寂しい」「同じように盛り上がる相手がいなくて寂しい」と思う気持ちを否定することにつなげる必要はありません。今まであったものが失われることは、何であれ寂しさのあることです。

「私は分かっている『けど』それはそれとして寂しい」

それを認めてやること。
そうしたらようやくあなたは「寂しさの中身」について、考え始めることができるのではないかと思います。それから、本当はBさんとどんな友人関係になりたいのか、はたまたなりたくないのか、自分が欲しかった形は何なのか。一人では好きでいられなかったのか、孤独感や疎外感となる原因の考えはどこからきているのか――そういうことも考えられるようになります。

ひとつずつ、ごまかさず、丁寧に整理してゆくことは苦しいことですが、その実確かな地盤を作り、これからの自分を楽にしてくれるのです。


寂しさを埋めてくれるのは、新しい誰かかもしれないし、またBさんが戻ってきてくれるかもしれない。

だけどそんな奇跡や運に頼る前に、自分で自分の寂しさの中身をとらえ直していくことで、あなたはもう繰り返さずに済むかもしれないし、本当に人間同士が繋がっていくことと、環境でゆるくつなげてもらっていることの違いを、理解していけるのかもしれません。

今は話すことがなくても、ゆるく繋がっていれば、アカウントを残して存在しておけば、またどこかで縁ができるかも。もちろん、寂しさを自分で抱えておけないから距離を置きたいことも間違いじゃない。何をどうしても、正しいも間違いもありませんが、苦しいことを繰り返すよりは、ゆるく、楽に、構えずにいられたほうが、たぶん楽しく好きなものを楽しめるのではないかな、とは思います。


ando.ではこういったご自身のお気持ちの整理や、何となくうまくいかないけど理由がよくわからなくて繰り返してしまう、みたいなお話ももちろん承ります。

ご自身の中にある「分かってる」「でも分からない、納得できない」を、一緒に考えるお手伝い、よろしければさせてください。

創作事例はまたいくつか書けたらいいなと思っています。ご自身がよく陥るパターンに似たものがあったり、参考になるなあという部分があれば、お付き合いくださいね。

【ご予約はando.webより】
https://andocounseling.wixsite.com/ando

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