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一人では育てられない自尊感情の話

以前自己肯定感(自尊感情)の話を書きました。

自己肯定感は自分で高めていくもの、という論調が強く、そして確かにそういった側面が強いものでもあります。こちらの記事では自己肯定感の正体って一体何? 本当に「自己肯定感が高いこと」とは? という論点にのみ絞って書きました。

今日はもう少し別側面からお話しようかなと思います。


自尊感情は誰かにもらうことから始まる


「自分で育てるんじゃないんか!?」と思われた方も多いと思います。確かに自分で育てていくことはマストですが、その前に必要なこと。

自尊感情は、他者の存在に裏付けられている側面もあります。

自尊感情は様々な側面を持ちます。「ありのままの自分を認めること」は最終到達点かつ一番包括的なところです。

誰かの存在によって「自分は役にたつ存在だ」とか、「他人の力になることができた」と思える感情のことを「自己有用感」と呼びます。自尊感情はこの「自分はこのくらいのことができて、誰かにとってよい働きができる」という裏付けがあって生まれてくるものです。

他者の存在なしに生まれてくる「自尊感情」ももちろん存在します。ですが一足飛びにそれを獲得しようとするのはかなりしんどいことです。自分のできているところ、素敵なところを現実的なまなざしで見つめることは、誰かに教えてもらうよりも大変なことだから。

自尊感情の獲得には、他者からの承認が必要。
これはつきつめてゆくと、臨床的な肌感にすぎませんが、子どものころ、周りの大人たちからどういう風に言葉かけをしてもらったか? という過去の体験に根差していることも多いように思います。


あなたの自尊感情の獲得段階は?


さて、ご自身を振り返ってみていかがでしょうか。

こと最近では「自分の機嫌は自分で!」(これは自尊感情とは別ベクトルだなとは思いますが)にはじまり、「自分の気持ちは自分で育てる」というベースが出来ているように思います。それはとても素晴らしいことで、もっともなことで、そうできるようになるのを目指すことは誰にとっても良いことです。それは間違いありません。

間違いないのですが。
その一方で、自尊感情の問題に直面化し、「もっと自分に自信が持てるようになりたい」「自分を自分で褒められるようになりたい」と望まれる方が多くいらっしゃいます。創作活動をされている方にとって、誰かに自分の作品を認めてもらいたいという気持ちから切り離されることはとても難しいことです。それなのにどうしても、それが「よくないこと」のようになってしまっているのは苦しいなあと感じます。

本当はもっと他人に「認めて」もらうことから始めなければならない。
いきなり自分で自分をほめようとしたって、お手本が見つからない。

そういうケースもたくさんあります。もちろん、もう土壌はできていて、自分で自分を認められるようになりましょう、というケースもあります。すべてのケースに他者承認が必要になってくるわけではないですが、「あなたはまず、誰かに『それでいいよ』と言ってもらうことから始めないとね」というケースだって確かに存在すると、私は思っています。


じゃあ、どうやって獲得していくのか?


●実際に他者承認がない生活を送っているケース
●他者から認めてもらっていることがあるのに、それが自分のこととして心に残っていないケース

この二つがあるかと思います。お話を聞いていると、特にSNSで創作活動をされている場合、完全に他者承認が、本当にただのひとつもないケースというのは極めて稀だな、と思います。

自分としてはもっとこれくらいほめられたいとか、認められたいとか、そういう気持ちがあるかもしれません。でも、本当にそういうの、一つもない?と尋ねると、実はずっと応援してくれる人が一人いたりとか、何をアップしても反応してくれる友人がいるとか、そういうことがあったりします。

子どものころにもらえなかった手放しの承認を、大人になった私たちがまるまる同じように受け取ろうとすることはかなり難しいことではあります。もちろん運よくそういうことをしてくれる人が見つかる場合もありますが、依存的になる危険もはらんでいます。

大事なのは、自分の今の生活の中で、自分の力のぶんだけ認めてくれている人がいるのではないか、と、視線を向けてみることなのかもしれません。


「褒め」ではなく「認め」をもらう


さて、では他者に何をもらったらいいのか。これには「認めてもらう」というターンが必要になってきます。「褒められる」より、「認めてもらう」。

これは何が違うの? という話なのですが、「褒める」という行為は褒める人の価値観に大きく依存するものです。反対に「認める」という行為は行動の主体であるあなたそのものを、結果に依らず受容する、というイメージでいてもらえると、何となく違いが見えてきませんか。

褒める=自信を「持たせる」であり、褒めた相手は自信を「持たされて」育つこと
認める=自信を「持つことができて」育つこと

というとやや乱暴ですが…。
外的な価値観は存在しつつ、自分のできていることをきちんと認めてもらえること、というのは、自己有用感の獲得に非常に重要であり、自己有用感の獲得は自尊感情の獲得につながっていく……という、数珠繋ぎなのです。

反対に、他人が認めてくれているところを自分が「でもそれは自分の欲しい『褒め』ではない」と、心の中で受け止められない人もいるのではないでしょうか。

全ての他者承認を受け入れる必要はもちろんありませんが、自分が苦しいな、というときには、誰かが認めてくれていることを一度受け入れてみることで、少し変わるものもあるかもしれません。そういった意味では結局自分が変化していくことが手っ取り早いよね、というところに行きついてしまうのですが……。

よく思うのです。何かが「できている」から褒められる必要はない。何かをやったからすごいんじゃない、何かができたからすごいのではない。

あなたがそれをしたことで、あなたはどういう気持ちになったのか。
あなたがやったそのことを、「あなたは自分で考えて、そうしたのだね」「あなたはそう選んだのだね」「それを尊重するよ」と、ただ認めてくれる人がいること。

本当は、まずそれが必要なのではないだろうか、と。

褒められてもうれしくない、という感情の裏には、もしかしたら「あなたの基準で褒められていても嬉しくないよ」があったりするのかもしれませんが、これはまた別のお話なので、別の機会に。


要するに、あんま自分で何とかしないと! 自分で何とかするもの! って思いすぎなくてもいいよ、ということです。「すぎなくても」です。
自分でできる範囲と、自分じゃどうしようもない、他人の力が必要なことだってあるんだよ、ということと、そうは言っても周りの人ができることにも限界はあるし、「認めて!」と求められすぎるとしんどくなって、あなたの周りから離れていくのかもしれない。

あなたが周りからの自然な承認を確認できるようになる、という、のがよいかもしれない、極めて難しい話をしてしまいました。

自分にとって今必要なのって、どの段階なんだろう? 自分で育てていくこと? それとも誰かに認めてもらっていることを探すこと? 自分で自分を認められるポイントを探すことなのかな?

自分でそれを探すのは結構大変です。カウンセリングではそういったことのお手伝いもしています。今あなたにとって必要なことは何だろうか。一般的に「よりよい自分になるために」と言われていることはさておいて、今、現実的に、あなたが出来そうなことはなんだろうか?

それを考えるお手伝いが必要でしたら、いつでもお声かけくださいね。
自分でできていることが分からなかったら、私が「これはOKではないですか?」とお伝えします。そうかなあ、と最初は受け入れられなくても、それはちょっと違うかも、というときは修正しつつ、繰り返し何度でも。

【ando.web】
https://andocounseling.wixsite.com/ando



【参考文献】
文部科学省 国立教育政策研究所(2015)生徒指導リーフLeaf18  「自尊感情」 ? それとも,「自己有用感」 ?
http://www.nier.go.jp/shido/leaf/leaf18.pdf
信夫 辰規,山本 奬,大谷 哲弘,佐藤 進 『学校生活における異年齢集団活動が自己有用感へあたえる影響』 岩手大学大学院教育学研究科 研究年報 2巻(2018) p125 - p134  

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