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仏教的に言う大乗利他って。

利他行

まず人のためにし、のち自分のために

そう教えられてきた。

仏教はいまでも素晴らしいと思うし、信じている。

ただ、心からそう思って行うことと
形を整えることは違うと思う。


わたしは解釈を間違えた。

自己犠牲となり、形だけを整えようとしていて苦しくなった。


まずは、わたしをわたしが満たすこと。

ぜったいそれに尽きると思う。

わたしが満たされていなくて、なにが人にできるのか?

それは、ひとつひとつ

わたしの存在(心に思うことすべて)を

わたしが否定せずに、すべて受け入れていく。

わたしを自分で否定しておいて、他人を肯定などできるわけがない。

一般的にダメだと言われるところもわたしである

不完全なわたしを認めて、受け入れられ愛おしく思えた時に

他人も不完全で当たり前だと心から感じると思う。


っていうか、

完全な人がいたら、会わせてほしい(笑)

いないのに、なぜか人は

「わたしは、ここがダメ、あそこがダメ」と自分を責め否定する。

というより、完全な…の完全って何?

何が基準で、完全なのか?

ちゃんとした…のちゃんとって何?

誰基準?


そう考えると、おかしいな(笑)


こうするのが普通

常識では

人として

迷惑をかけてはいけない

できないのは努力が足りない・・・とか。


という、基準誰?という不思議なことをめっちゃ気にして生きてきて

今、ふと考えたら笑えた。


もう少し、人の基準だけでなく、自分で考えて生きるようになろう。


そして、少しずつ人のために…と心から湧いてきたことを喜んでできる自分になりたい。


形じゃなくて。


それには、心のこと
自分と向き合う・人と向き合う

は、必須だと実感してます👍🏻

ポンコツなわたしの実験みたいな体験記事などを書いています。 文章下手ですがフィーリングで読んでくれたら嬉しいですw みんなが「あ!いま、もうしあわせなんだ(笑)」と感じて、ゆるゆると過ごせますように… 応援してくれたら、喜びます😄