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災害時こそ活きる地域間交流。武蔵野市役所 交流事業課担当者インタビュー(前編)

こんにちは、「〇〇と鎌倉」の狩野です。
以前、地域間交流のひとつのカタチとして、自治体間の「姉妹都市事業」を取り上げました。

この中で、9つの姉妹都市(友好都市)をネットワーク化し、アンテナショップの運営や、災害協定の締結などさまざまな連携事業を行っている東京都武蔵野市の取り組みに着目しました。
(調べていくと、都市部の自治体がハブとなり、友好都市間で連携協定を結ぶ自治体が最近増えてきていることがわかりました。この背景については今後掘り下げたいと思います)

そこで、今回は武蔵野市の姉妹都市(友好都市)事業がどのような体制・意識のもとで行われているのかを掘り下げるべく、武蔵野市役所で交流事業に携わる3名の方にインタビューをしてきました。

武蔵野市_member

(左から、武蔵野市市民部生活経済課 課長補佐の平塚 香さん、市民部交流事業課 主任の糠森美幸さん、市民部交流事業課 主査の永嶋久人さん)

―まずはみなさんの自己紹介をお願いします。

永嶋:武蔵野市交流事業課の主査を務める永嶋です。国内外の友好都市交流事業の担当をしています。2013年、2014年は友好都市間の職員派遣で千葉県南房総市役所で働いていました。

糠森:同じく交流事業課の糠森です。同じく友好都市間の職員派遣で、2018年に岩手県遠野市役所から来ました。主に「武蔵野市交流市町村協議会」の事務や、隔年で実施している遠野市への市民ツアーの企画などを行っています。

平塚:生活経済課で産業振興や観光を担当しています。友好都市アンテナショップ「麦わら帽子」の運営サポートも行っています。また、過去には、ロシアのハバロフスク市やルーマニアのブラショフ市など海外との交流事業に携わっていたこともあります。

交流事業課

武蔵野市が地域間交流に力を入れる理由

―武蔵野市の友好都市数は、国内外合わせて計14都市(国内交流都市数9、国外友好都市は5/中国・北京市は休止中)で、他自治体と比べて圧倒的に多い(※)ですよね。この理由はなぜですか?

※多摩・島しょ地域の平均友好都市数は1.3都市(「姉妹都市・友好都市交流の 新たな可能性に関する 調査研究報告書」平成26年 公益財団法人 東京市町村自治調査会 より)。

永嶋:1980年代から形作られてきた交流に関する考え方の影響が大きいと思います。あとは、当市が財政的に交流に力を入れることができたため、友好都市が広がってきた経緯があります。

(以下は従来からの武蔵野市の交流の考え方です)

「武蔵野市は都市一極集中によるメリットとして、富、人、情報、エネルギーなどの資源を享受しているが、この資源の源は地方の市町村が生み出し、育て、守り抜いているもの。都市は地方に支えられてこそ存立する。
半面、武蔵野市は過度の都市化による住宅困窮、自然現象、人間関係の希薄化、ふるさと感喪失などでメリットも甘受している。また地方の市町村は、若者の都会志向や少子化により地域の活力がそがれ、豊かな自然が傷つき、失われる恐れすらある。
都市と地方は互いに尊重し合い、プラスの面をさらに伸ばすとともに、それぞれに持つ特性を生かして、相互のマイナス面を補い合う関係を作り上げることが望まれる」(「武蔵野市市町村協議会資料」より抜粋)

これは、SDGsにもつながる内容です。私自身も地域間交流を通じてさまざまな人と出会ってきたことで、自分の暮らしがいかに多くの人たちによって支えられているかを実感するようになりました。
都会で暮らしていると、お金と引き換えにモノやサービスが享受できてしまうので、その背景にどれだけの人が関わっているかということにまで想像が及びにくい気がします。美味しい野菜や魚が食べられるのは、農家や漁師の方がいるからですし、消費者が「安さ」ばかり優先すると「一次産業は儲からない」と担い手の減少にもつながります。この交流の考え方はいまからおよそ30年前に掲げられたものですが、いまこそ必要な考え方に思えます。

交流事業課2

(↑交流事業課には様々な国や地域の工芸品などがディスプレイされていました)

ー 現在のように10都市で連携して事業を進める体制ができたのはいつ頃ですか?

永嶋: 1991年、それまで地域毎に個別で交流していた事業をひとつにまとめ上げて、武蔵野市と9つの友好都市で「武蔵野市交流市町村協議会」を設立しました。以降、毎年1回、開催地持ち回りで協議会を開催しています。連携事業は、災害時の連携、友好都市アンテナショップ「麦わら帽子」の運営、セカンドスクールや市民交流ツアーなど、多方面にわたります。
設立当初は首長同士の話し合いが中心でしたが、1994年より各市町村の職員も加わり、魅力ある地域づくりについての情報交換や、各地の地域景観や伝統文化を守る「ふるさとは美しくモデル事業」も行っています。
2000年より、「交流事業によるまちづくり」というテーマで職員の交流研修会もスタートし、首長参加によるサミットと、交流研修会を毎年交互に開催しています。

― 今年の協議会サミットは武蔵野市で開催されたようですね。どういったことが行われたのでしょうか?

糠森:武蔵野市を含めて10都市の首長が集まり、情報交換や、防災をテーマとした多文化共生の地域づくりについての講演会を行いました。そこでご登壇頂いた友好都市でもある長岡市の国際交流センター「地球広場」の羽賀友信センター長がおっしゃっていたことが非常に印象的でした。

「武蔵野市は別として、他の自治体は人口減少による税収減が大きな課題となる中、交流なんて遊びだからやめてしまえというのはよく言われる話。それでも交流を続けていく意義は何か。(地域や社会に)興味がなかった人が関わりのある友好都市に足を運んだりすることによって、自分には何ができるのかを考えるようになる。そういうことが大切なのではないか」(長岡市国際交流センター「地球広場」羽賀友信センター長)

交流事業というのは評価をすることが難しいだけに、10都市の中でも温度差はあるかもしれません。だからこそ、定期的に「交流の意義」を確認するような作業はとても大切に思えます。

令和元年武蔵野市で開催した協議会の様子

(今年武蔵野市で開催された市町村協議会の様子 Photo by 武蔵野市役所)

有事にこそ活きる、日々の交流

― 友好都市のひとつである千葉県南房総市は、先日の台風15号で大きな被害を受けました。直後に、武蔵野市は支援物資を届けに行ったそうですね。しかも、調べてみると、千葉県よりも早いタイミングだったのでとても驚きました。

永嶋:2011年に武蔵野市を含む10都市で「安曇野市サミット宣言」が締結され、災害時には友好都市への相互支援を行うことになっています。今回は台風15号のあった翌々日に南房総市と連絡が取れ、水やブルーシートが不足しているということだったので、同日中に武蔵野市として届けに行きました。私も情報収集を兼ねて現地入りしました。その後、ボランティアセンターの支援が第2陣となり、現在(9月26日時点)は第3陣が家屋の被害調査のサポートにあたっています。

南房総市への支援物資をトラックに積み込む

(南房総市への支援物資をトラックに積み込む様子 Photo by 武蔵野市役所)

―第1陣は永嶋さんが行ったのですね。それは南房総市に交換留職していた経験があったからでしょうか。

永嶋:そうですね。土地勘があって、現地で顔が通じているため各所にコンタクトしやすいということから任命されたのだと思います。交換留職という制度が、有事の際の橋渡しとして非常に有効だということを実体験として感じました。

―2011年に締結された「安曇野市サミット宣言」は、災害時の後方支援も視野に入れた連携・協力について確認するものでしたが、今回の台風時にはどのように機能しましたか?

永嶋「安曇野市サミット宣言」をもとに、すぐ連絡をとり支援物資を送りました。また、(武蔵野市の)他の友好都市から「(南房総市で)必要なものはないか」という問い合わせがこちらに入り、現地の状況を伝えたりしています。現時点では、友好都市までの支援は不要という判断になっていますが、今後友好都市にも範囲を広げて協力を仰ぐかは継続して検討していきます。(今回はその後も、他の友好都市の支援までは至らなかったそうです)

―友好都市間の災害支援として、過去には他にどんなことをされてきたのですか?

永嶋:2011年の東日本大震災では、武蔵野市の友好都市である岩手県遠野市は直接的に大きな被害は受けなかったものの、岩手県沿岸地域の後方支援拠点となっていました。そこで、他の友好都市にも呼びかけ、物資を遠野市へ送り届けたり、遠野市からの要請で被災地への職員派遣も積極的に行いました。
また、2016年の熊本地震では、被災した熊本県菊池市が遠野市の友好都市だったため、遠野市を通じて防災食などの物資の支援を行いました。

― 遠野市を通して、武蔵野市と菊池市がつながったのですね。環境危機の影響で自然災害が増えている昨今、災害時に協力し合える地域があることは、住民にとっても心強いですね。ただ、多くの地域住民は友好都市にあまり馴染みがないのが現状だと思うので、こうした連携事業をより多くの人に知ってもらえるといいですよね。

糠森:そうですね。私たちが行っている市民交流ツアーに参加することで、有事の時に「あの人は大丈夫かなぁ」と交流先の地域のことを思ったり、想像を広げることができるという側面はあると思います。ちなみに、今回の台風15号では、武蔵野市として街頭募金を行ったりもしています。

有事における自治体間の連携というのは、今後ますます重要になりそうですし、人間の生死に関わることだけに、交流事業の中でも最も理解や共感を得やすい事業だと感じました。一方で、交換留職もそうですが、平時からさまざまな人的交流があるからこそ、いざという時に助け合うことができるのでしょう。

後編では、10都市の共同出資によって運営されている友好都市アンテナショップ「麦わら帽子」の実態や、成果が測りづらい交流事業を武蔵野市が続けられる理由などに迫っていきたいと思います。


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