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4. 戸惑いの89歳、スマホデビュー!


「ただいま」
 声をかけてみたが返事がない。玄関で靴をぬいで廊下を歩いて台所へ行き、居間、奥の仏間に入っても気配はなかった。あれ、どこへ? と思った瞬間に、レンガ色のセーターの背中がぬっとみえた。

 縁側で、その人は、橙(だいだい)の木をみていた。冬の終わりの弱々しい日だまりの中だった。

 [こんなに、小さな人だったっけ]

「おかえり。早かったね」「うん」「車は混んでいた?」「高速が延びていてね、普段より30分は短縮できたの」「あら、そう」

 背中の小さなその人は、わたしの幼い頃と、とてもよく似た微笑み方で縁側からわたしのことを見上げていた。母のことだ。

 父が他界してから、一人暮らしの母のところへ、毎月1・2度は足を運んできたが、昨年からコロナ禍の影響で数えるほどにしか帰省はしていなかった。

 本日のお土産は、「auカンタンケータイ」。携帯電話(ガラケー)が今年3月で使えなくなるため、89歳にしてスマートフォンデビューを華麗に決めてほしいという計画だ。居間の、こたつの中では、6本の足が「密」真っ只中。ひなぎくのように白いマスクの顔を寄せ合って、スマートフォンの操作手順を何度も解説し、不安げにうなずく。

 人差し指を出して、左右、前後にスクロールができない。
乾いて皺だらけの指は、急ぎすぎて空振り。画面にタッチしてスクロールするという動作が、人類が未開の地で行う伝承の技のように思えてしまう。自分にはとうてい無理だと思う。89歳の人のスクロールは、必要のない画面を次々に読み込んでしまう。

「むずかしいわ、やっぱり前の携帯のほうがいいわ」
「いえ。初期設定を済ませてしまったので、もう使えません」
 よく響く男の声が、母の声を遮る。

 えっ! まつげを震わせて哀しそうな瞳がこちらをみた。

 ふと。母をみながら、小学時代のわたしを視ていた。

 わたしは、なにかと理由をつけては、この人に怒られてばかりいた(叱られてではない)。親戚の子供たちは勉強しないと(あるいは言うことを聞かないと)「あそこの家に預けるよ」と脅され「嫌だー絶対に嫌だー!」と大声をあげて泣いて恐ろしがった。わたしが始終、厳しく怒られていたのをみて、絶対に自分はあんな風になりたくないと密かに心の中で誓ったのだろう、それくらい口うるさく厳しい母だったのだ。

 それがこの頃は、足腰の筋肉が落ちて自信がなくなってから、趣味の庭仕事もままならず。一日中テレビの前で、菅総理を追いかけて国会中継やニュースばかりを見て過ごしている。父亡き後、一人で生きて30年だ。わたしは、この人の幸せを守る側になっていた。

 さて。1時間ほどスマホ操作の特訓を終えた。試しに飛行機に乗って3時間はかかる遠路の孫(私の娘)のところに、新しいスマホを使ってLINEで電話をかけてみる。LINE機能を通して始めてみる孫の部屋、会話するその声はみるみるゴムまりのように弾み、
「おばあちゃん、スマホすごいね。いつでも会えるね」
「うん、がんばってスマホデビューするから、あんたもがんばりんしゃあーよ!(がんばりなさい)」

 母の頬にはいつしか希望の色が差していた。

 1週間分の買物を代行し、ハタハタの煮付け、ホタルイカの酢味噌和え、春きゃべつのスープなどの夕食をつくる。別々の部屋での会食ながら、温かい交流の時だった。

 あなたのために、してあげられること。あなたのことを心配して少しは骨を折る。すなわち、それはわたしの「心の養生」であった。どうやってここまで辿り着いたのか原風景をみつめる旅でもあったのだ。

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