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59. 非日常の階段を降りて蜜のような甘やかな沼に飛び込む


 ある節によると、女というのは今日どれほどの喜びを得たとしても、一日のくぎりを経て、翌日になればだんだんと記憶の輪郭も曖昧になり、今日には今日の、小さな幸せを積み重ねなければつまらない、と思うところがあるらしい。確かにそういう節はある。

 ちなみに、男はといえば、人生観が変わるほどの愛や成功を得たなら、それを勲章として一生満足して生きていけるものであるというが……。さて実際はどうだろうか。

 自分で言うのもなんだが、基本的には穏やかで、貞淑な妻を地でいくタイプだと思っている。付き合いの長いクライアントの仕事を、利潤そこそこに文化的雪かきとして喜んでやり、一日のほとんどを仕事と家事、風呂読書などで埋め、十分愉しく暮らしている。堅実に頑張った今があるからこそ、小さな幸せへのこだわりはあるし、歳甲斐もなく少女じみた贅沢をこよなく愛してしまったりもする。

 例えば缶の底が見え隠れするダージリンの茶葉に、ザッハブレンドという銘柄のウィーンの紅茶あるいは、武夷山正岩茶を実験的にブレンドし、外の風を感じるデッキチェアにもたれてゆっくり飲む愉しみだとか。寝室のリネンは、絶対にリトアニア産のガサガサしたものではなく、薄くてもなめらかなフランス産のシーツや掛け布団カバー、パジャマも同じ類のものでなければ落ち着かないとか。突然思い立って上野の美術館へ出掛けていく。また朝の空港やカフェで、異邦人となって旅行客や周囲の会話に耳を向けて、感涙してみたり。そうゆう非日常めいた甘い砂糖菓子をポケットに隠し持っているタイプだと白状しよう。

 その年は、一人娘の大学受験を控えた夏だった。毎日塾の夏期講習へ送迎しては、模試の結果に一喜一憂する息のつまりそうな時期を過ごしていた。私は近場だけど、と前置きして奈良への一泊、を娘に提案した。旅の前日、堀辰雄の『大和路・信濃路』を読み返す。
 ホテルへ着くや電動アシストのついた自転車を借りて、唐招提寺や薬師寺、元興寺、白毫寺、春日大社から、ささやきの小道へまわり、志賀直哉の旧居サロンを訪れる。青草に照りつける盆地特有の強い陽差し。大和仏像の陰翳の深さと静けさに度肝をぬかれるたび、『おおどかな御顔だけすっかり香にお灼けになって……』など堀辰雄が捉えた審美眼を思い出す。

 夜は奈良町にある古い佇まいの店で、粕漬けの魚や大和野菜の天ぷらなどを味わい、墨色の晩に吹く風をしっとり感じながら自転車を押し、裏路地を歩いた。奈良町の裏門から入る奈良ホテルは、宿泊者専用のプライベート感がいっそうあって、錆び付いた門戸を手で押して開き、瓦葺きの玄関口を入る。ここは明治の建築家、辰野金吾が手掛けたという桃山風の豪奢な木造建築だ。スリッパの脚で歩けば、木音がキーッと鳴く。オレンジの薄暗い灯りで見上げる、不ニ木阿古の鷺娘や上村松園の花嫁など名画揃いで、幽玄このうえない。私は、気をよくして、どう? 荒池でも眺めながら、ラウンジでお茶でも、と娘を誘った。ここが秘密の沼の入口である。ストッパーとなる真面目な夫はいない。

 窓際の席につくと、ガラス戸は開け放たれており、眼下にはライトアップされた赤松の林や竹林、青もみじの枝葉が荒池の水に映り込んで、それはうっとりする光景だった。振り返れば、ザ・バーのカウンターで、外国人の老夫婦が肩を寄せ合い、カクテルを飲んでいた。「お客様、お飲み物は何にいたしましょうか」と制服姿のボーイが訊く。
 私は、メニューの一枚目で釘づけに……! ローラン・ペリエのフェアとあったのだ。ここが、シャンパーニュ地方の中でも王室御用達で知られる、古いメゾン(1800年代)であることは知っていた。もぎたての桃のような果肉と白い花を連想させるキュビェのフレッシュさを一度飲んだことがある。ならロゼの果実味あふれるアロマも最高だろう。私はゴクリと唾を飲み、できるだけ落ちついた口調で「ローラン・ペリエのロゼ、娘はレモンスカッシュで。それからレーズンバターを」と注文した。

 暖色の照明の下で、光る泡を噛むように啜るひととき。これを堀辰雄なら、どう表現するのだろうかと思うや、高揚感が湧き上がってくる。
 グラスを傾けるたび、この場の空気を含み、熟れた桃から木苺、ブラックチェリーへと新鮮な果実味が変容していくさまは、淑女がたしなむエレガント。深い余韻があった。あまりにも幸せだったので、このあと松の実ケーキを食べよう、と奮発し、ほろ酔いで部屋に引きあげたくらいだ。

 娘とおしゃべりをするたび、ローラン・ペリエの花びらがふわっふわっと開いて、高貴な香りが喉元からせり上がってくるので、ますます嬉しくなる。「ねえ訊いてよ、ゲップがローランペリエなの」とおちゃらけて叫び、娘も「ママったらラベンダーのお屁ですもの」と。ふたりとも笑いが止まらなかった。

 朝——。何かに見つめられている気配を感じ、5時前には目が覚めた。窓際に近づくと、一匹のバンビと親が草をはみにきている。娘の肩をゆすぶっても起きないので、私は早朝の散策へ出た。

 春日大社の「一の門」を過ぎて、奈良公園を横切る予定が、ハッとしてたじろぐ。


 や、ここはどこよ。鹿、鹿だ。それは鹿の国みたく、視線のむこうまで鹿が重なり合い、露のついた短い草に鼻をむけている。怖々、進もうとしたところ、一頭の大きな鹿が顔を上げ、こっちを見た。その合図で他の鹿も一斉に顔を上げて私を見て、誰だ、と訝しげな黒々とした眼差しで捉え一切視線を離さない。ほんの少しでも微動すれば、飛びかかってきそうな迫力があった。早朝の奈良公園は、生きもの達の楽園。人間は他所ものだった。
 私は公園には入らず、車道の方向へと大きく迂回し、道を変えた。背中に獣の視線を感じた。そして距離が空いたところで、タタタ、タタタ! と猛烈な勢いで駆け出す。朝霧を胸いっぱい吸い込み、さらにスピードを上げた。そのまま大仏殿の道へ入り、三叉路で山の方向へとコースを変え、坂をのぼる。早く、早く、朝焼けが終わる。
 私の瞼には、二月堂の回廊から望む大和平野の朝霧と、松明の火の粉がめらめら飛び散るさまが交互に見えるようだった。口元には、昨晩のローラン・ペリエの香りが微かに残っていた。  

  (了)                                          


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