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9. SNSは晒すことで自分の新しいアンテナを手にいれる『井戸の入口』

こんな自己顕示欲が隠れていたとは

SNSってなんだろう? 
仕事の折、散歩の途中で、お風呂の中で、よく考えます。
ここに生きてるよ、笑っているよ。切磋琢磨しているよ、と。デジタルの波に、自分の分身を泳がせてみること!? 

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先日、東京の鶴川にある「武相荘」へ行きました。
敷地に足を踏み入れた途端に、正子と次郎の「鶴川日記」の日々がわーっとわたしの頭の中にこぼれてきて、(その記憶はまた後日書きます)胸がいっぱいになる。

玄関入ってすぐの場所に、一人一人の略年譜が貼られていた。じっとそれを眺めているうち、誰に頼まれもしなくていい。記憶がしっかりしているうちに書いておきたいな、そういう気持ちが湧いてきたのでした。

数日後に年代順に追って、仕事歴をざーっと書いてみました。
当時のいろいろな思いがよぎってきます。大変だったことは浮かばない。仕事で関わった人の顔ばかりがぽっ、ぽっと浮かんできました。
当時の自分。海外旅行などの記憶も思い出されてきます。

出来上がった時には、こんなものかしらと、いう感じでしたが、一日おいてみると、地味だなーと思う。会社時代は名前のある企業とコラボするような、華やかな仕事もさせていただきましたが、フリーランスになってからは、10年、20年と、同じ企業からの、同じコンテンツの依頼が多い。とはいっても、毎号、中味は変わるので刺激的だし、面白味はあるんですよね。
ま、こんなものか、と。プロフィールに添えて記事投稿(note)をしました。

しかしです。「スキ」の報告がつき始めると、いろいろ気になるんです。ここもちゃんと書いておこうとか、写真を差し込んだほうがわかりやすいなとか。webの記事で追えるなら飛べるようにしたほうが親切なのかな、とか。中途半端はよくない……とも。
仕事がたてこんでいるというのに、自分はなにをやっているんだろう……? 
「好印象にみられたい」。「せめて誤解されたくない」そんなモヤモヤがあることに気づき、地味だった投稿がギラギラとする気がして。慌てて閉じて、仕事に戻る。
ああ、SNSって、やはり苦手。しんどい……かも。ちょっと臆病になる自分がいました。



著名な人ほどSNSを肯定しない

わたしがTwitterを始めたきっかけは、関東出身の仲のいい友人と唯一繫がれる手段が、Twitterであったことからです。売れっ子の漫画家であるため、近況を知れて、レスやダイレクトメールでコミュニケーションできる機会は、Twitterが一番という理由がありました。

また、「宣伝会議」のインタビュー記事を執筆する機会が多くあって、「あなたにとって、SNSとは?」と必ず取材対象者にむけてパターンとして聞く設問があり、ああ、もうSNSをスルーすることは時代の流れとしてできないな、と思い始めていました。


ただ。わたしが取材で出会う文化人や自分の名前で仕事をする人は、実のところSNSをあまり肯定はしていませんでした。

「SNSに依存すると自分のあたまで考えることをしなくなる。だから、わたしはどこか新しい場所を旅するときでも決してSNSはみないようにしています。自分の発見や直感力を大事にしたいから」

ある人は、力をこめてこう言いました。

「検索エンジンに頼るあまり、カンタン、即、情報がはいってくるので人間は想像力を失っていきます。自分の目と足でさがす、それが大切です。自分の目とペンの力こそ大切なんです」


情報過多のある種の怖さ、「負の遺産」を、改めて知る思いでした。

プロフィールを何度も上書きしてしまう自分の例もあるように、
ネットを叩くことは、時間どろぼう、という点での、大きな課題もあるとわたしも感じていました。



はじめてTwitterに挑戦した時のこと

いま Twitterを開設した日のことを、思い出しました。
それは、まるで大都会にポンと飛び出した3歳の子どものような心境でした。大都会の交差点です。そこに突然出ていって、まず景色をゆっくりと捉えてみたいと思うのに、「話しかけてくる人が、あちらにも、こちらにも。あっちをみて、こっちをみて。この人のあの人のおしゃべりを聞いていくうちに、カオスの中にほうりこまれたような違和感がありました。

あたり前ですが、一本の軸やテーマで話すわけではなく、ばらばらの情報を、カテゴリーを、一気にしゃべりまくる人々がいる。情報という騒音。大量投下された情報処理に慣れず、Twitterを閉じ、iPhoneをパタンと置いて、一息。後味はあまりよくありませんでした。


そんなある日。一人の面白いことをつぶやく人をみつけました。
その人の過去の投稿をさかのぼって「読む」。読書をしている快楽にも似た、楽しさをみるようでした。一気通貫して読んだSNSには、その人の志というか、熱さ、を感じました。人柄がたちのぼってきました。
ああ、こんな楽しみ方もあるんだなって。自分なりに楽しみ方をみつければいいんだ、と分かった。気持ちがほぐれ、希望がみえてきました。


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人を知り、自分を知る。軽く楽しむのがコツ

作家の辻邦生氏がこんなことを書いていました。


同じ東京の町を歩いていても、すごく好きな町、好きな部分がみえてくる。どうしようもなく好きというのは、「in love with」である。

その人だけの愛する、固有のもの。ただ一つのものだ、というようなことを伝えていらっしゃったと思うんです。それをSNSという舟から大海に放り投げる。それなら、Instagramしかり、faceBOOKしかり。同じカフェ、同じ景色をみて、書くことも。大変に意味があることじゃないか、と考えるわけです。


いま、ソーシャルネットワークは、地球規模にひろがり、時代は「つながるビジネス」が主流になってきています。さまざまなプラットフォームに人がむらがるようになるにつれて、企業の関心時もテレビや雑誌の媒体から、潜在的・顕在的ユーザーが圧倒的であるネット上にあります。

わたしの友人も、インターネットやSNSを活用することで、やりたい仕事を手にいれたり、ありのままの自分を分析する機会として捉まえ、ネットのなかの人とつながって、自分の夢へとつながるステップにしていく。そういう人の活躍には目をみはり、感服するものがあります。

さて、じゃあ、自分はこの場をどう活用していくことがいいんだろうか。
もしかしたたら、未来は変わりゆくかもしれないけれど、その時々で思ったことを書きためたり過去の書いた中から人にメリットがありそうなことを開示する場にしようか。
読むこと、書くことでマーケティング力はつくのは間違いないはずであるし、時代を俯瞰するきっかけには、必ずなるはずーー。

仕事じゃないここでは。重く考える自分を手放し、軽く、軽く楽しんで泳げばいい。肩の力をぬいて、その都度、チェンジアップしていく挑戦の場。それでいいのだと、いまはそう思っています。気取っても仕方ない。SNSは晒すことで予想もつかない新しいアンテナを手にいれるもの、そう今は思うから。
人を知り、自分を知ること。
それがSNSというプラットフォームの井戸の入口。どこにつながるか、全く自分でもわからない長い長い旅の入口、それがSNSや、このnoteのエッセンスだと。

長文を読んでくださってありがとうございました。


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