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14. 随筆家 白洲正子の書斎


ある日。
東京に行くたびに、行ってみたい場所があった。町田市・鶴川の「武相荘」(ぶあいそう)である。  

白洲正子の書くものを初めて読んだのは、10年以上前か。近江の古寺を訪ねた「かくれ里」、「近江山河抄」「高山寺」の回想録もよかった。影響されやすいわたしは、湖北の向源寺の「十一面観音」をみて、高山寺の鳥獣戯画にも会いにいった。正子は歩く人だ。ぐいぐいと肩から体ごと前のめりに野里を分け入り、修験者のような眼で欲しいものを一つ残らず観ていき、それらを書いた、そんな畏怖すら覚えた。命懸けで書く人の、火のような冷静を知った。


敷地に足をふみいれた途端、明治期の家がもつ佇まいと、艶めかしく曲がりくねった樹齢の木々に迎えられ、プロローグがはじまる。
ここは「武相荘」の入口だ。玄関口からみて右手のポストには、手製の文字で「しんぶん」と書かれている。

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正子が30歳の時(1940年、昭和15年)に購入。
夫の白須次郎と正子夫人が過ごした、あの「鶴川の家」である。草が茫々と生え、奥には竹藪がみえる。

入ってすぐにカフェテリアになっており、次郎が最初に乗ったクラシックカーがあった。向かいは、階段をあがってバーコーナーに。
草刈りと農作業をした農機具、かき氷が好きだった正子愛用の「かき氷機」も。

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ちょうどお昼時。評判の、「武相荘」レストランへ。お目当ては、人気のどらやきと欧風料理! 老舗の高原リゾートに来たような、気持ちよさ。

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静かで広々とした室内。古木の匂いがする瀟洒な内装。審美眼の届いた置物。古時計や絵画、ステンドグラスの窓に。心奪われながらダイニングの部屋へ。屋外のテラスがみえた。

年配のご夫婦連れや、おじいちゃんとおばあちゃと息子夫婦、孫などの家族連れが多い。皆、佇まいもキチンとし、穏やかな表情。カフェ目当ての若いカップルや騒がしい女性グループがいなくてホッとしたし、とても落ち着いた。

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まず、喉の渇きを止めたくて小豆島のオリーブサイダーをいただく。これが爽やかで、とてもいい飲み口。厚手のグラスもいい味を出している。

次郎が愛した「海老カレー」(1600円)を注文。

次郎の叔父(母の兄)がシンガポールに行った際に友人の家でごちそうになった作り方をそのまま再現しているという。「付け合わせのキャベツには、ドレッシングがかっていません。これには次郎が野菜嫌いだっので、カレーライスをかけて召し上がったのを、お客様にもそのままお出ししています」と女性スタッフが一人一人に説明してまわっている。

カレーの飯は、やわらかく、水分多めに炊かれていた。ぷりっとした粒大のむきえびがごろごろと入り、辛くおいしいカレーだった。

私たちの座ったテーブルのちょうど真横に、食器のはいった食器棚が置かれている。その中の、次郎の愛用したビールジョッキに目がとまる。温かく、まるみがあるラインの、カレー色のジョッキ。口をあてるところなど滑らか。

ダイニングの開き戸を横に開けたところにあったご不浄までも、花が添えられ、絵が飾られ、隅々まで自然を贅沢にまとっている空間だった。

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いよいよ、夫婦が暮らした茅葺き屋根の「鶴川の家」へ。

1940年(昭和15年)に購入。百年以上も経った農家だったそうだが、正子は、当時のことを、

「土台や建具はしっかりとしており長年の煤に黒光りがして、戸棚もふすまもいい味になっていた」と、随筆「鶴川日記」で書いている。

木造平屋、漆喰壁に間仕切りは引戸である。四つの部屋が田の字のように、少しズレて並んでいる。

入ってすぐは、どっしりとした皮張りのソファ椅子(4客)と大きなテーブルを配し、味のあるランプが、趣を添える。絨毯や漆喰壁に浮かぶ絵画などにも、日本家屋の中に洋の粋が溶け込み、夫婦がいかに欧米の生活をうまく取り入れていたかがわかる。

縁側の10畳とその隣の15畳には、正子好みの和食器や氷を食べるガラス器、蕎麦ちょく、そして夏の着物が展示されていた。

わたしが、ハッとしたのは夫婦の書斎からさらに、奥にはいる。北側にしつらえた正子の書斎だ。6畳に満たない小さな空間。

普通なら、衣装部屋となるところを正子は執筆の部屋にしていたようで、東と西の壁にそって本棚を置き、北の窓にむかって、座卓を設けている。眼の先は格子の窓だ。正子が尻を下ろすと、足を入れられる、掘りごたつがあった。

そこに立つだけで、正子の気概というか、眼鏡の奥から光る真剣な眼が、まるで見えるようだった。モノ書く人の部屋だ。正子はおそらく、ここに座った途端、音も匂いも全て消え、日常のしがらみからも解き放たれ、とてつもなく自由な心を得たのだろう、と思った。

いいな、素晴らしいな。ピンと張り詰めた正子の気配を感じる。わたしの部屋の書斎にも、若干はある緊張感が。追いつめられた空気が……。

格子引戸と障子で、ほどよく他人からの視界を遮る家の構造も見事。
縁は広く、南には樹木の森から生命力があふれていた。

「前の持ち家が植木が好きだったので庭には木の花、草の花が四季を通じて咲き乱れ、山には女郎花、桔梗、リンドウが自生し、谷には、えびね蘭や春蘭が至るところに見いだされてた」(鶴川日記より)

花と器を愛した正子らしい。

帰りに、武相荘をぐるりと囲む雑木林の丘陵を歩く。竹藪は健在。山あじさいや鉄線の咲く花くところに小さな石仏が、ちょっこりと立ち、主のいない古家をじっと視ていた。


◇(追記)

朝、時々白洲正子の愛したお香を焚いている。「みのり苑」の「白檀」「沈香」「伽羅」の3種だ。お香を焚くたびに、白洲正子の書斎に思いを飛ばすに違いない。

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