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出生の秘密



2019年の11月、産みの母が亡くなりました。

私には二人の母がいると知ったのは大学生の時でした。
母の言動で、私には秘密があるみたい…と、なんとなく感じてはいましたが、大学生になって、刺激的な毎日が始まり、人並みに飲み会やコンパ(もはや死語ですね?)に参加して、日付けをまたいだり、明け方に帰宅したり、明らかに羽目を外していました。
羨ましい!私も親元から離れたい!
飲み会くらいいいじゃない!
友達のところに泊まりたい!
地元大学生あるある…のパターンでしたが、私の素行は母には耐え難いことだったのでしょう。
ある日、私に放った母の一言。
「おまえは私の子じゃない!
だらしなく酒に溺れるお前の父親にそっくりだ。」

やっぱりそうだったのか?
幼い頃から、私がいうことを聞かないと、最後に
「おまえなんか橋の下から拾ってきたんだ。」と、締めくくった母。
その言葉には冗談の響きが全くなかったのです。
そして嫌悪の相手が誰なのかもすぐにわかりました。
私にとっては叔母さんの連れ合いに当たる人。
つまり私は母の妹の子供だったのです。
他の姉妹のことは◯◯おばちゃんと呼ばせていたのに
産みの母のことは横手の母さんと呼ばせていたのも
思えば意味ありげだったわけです。
冠婚葬祭があれば顔を合わせる程度のお付き合いでした。
母たち姉妹は意識して距離を取っているようにも見えました。

怒りと嫌悪で引き攣った母の顔は恐ろしかった。
妹夫婦は借金まみれで、
連れ合いの酒癖が悪くて、
ろくでもない生活をしてる。
7年ぶりに生まれたお前を育てる余裕がなかったから
この遠山の家に泣きついたんだ。と。
(私には10歳年上の兄と7歳年上の姉がいます。
従兄妹のにいちゃん、姉ちゃんと呼んでいました。)

この時から私の中に泥のような思いが底へ底へと沈みつつも
決して消えることなく積もっていきました。
「そうか。私は要らない子だったんだ。遠山の家にも佐々木の家にも迷惑な存在だったんだ。」

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