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還暦はスタート?

私は還暦を目前にしていました。
還暦はスタートに戻ることと言われています。
いわば0歳。
私は生まれ変わるんだ。生き直して、生き切るんだ。
出生の秘密が明らかになり、何か吹っ切れたような、そんな気持ちになっていました。

若い頃は「自分探し」などと言って、
自分は何者か?
何をなすべきか?
何のために生まれてきたのか?
と、悩み、自問自答しながらの毎日でした。
ところが私ときたら、還暦を目の前にしてもまだそんなことを考えてモヤモヤしていました。

10代の頃は、学校の先生になるのだと信じて疑いませんでした。
昭和の時代、まだまだ世の中の大人の考えは、女は女学校(女子校)に入って、おっとりしたお嫁さんになるのが1番の幸せだったのです。
しかし、母は看護士や養護教員を経験していましたから、事あるごとに「女も手に職を持って生きていかねばならない。」と言っていました。
「学校の先生になるのが一番だよ。」と、言い聞かされて育ったので、他の職業を考えたりしたことは一度もありませんでした。

その期待に応えて、私は小学校教員になりました。小学校の教員時代は講師も含めて14年。
楽しく充実していましたし、特に音楽を教えることは天職だとさえ思っていました。
研究授業も部活動での輝かしい栄光も全て満足のいくものだったのです。
ですから、夫の開業と同時に辞めることになった時も悔いはなかったのです。
平成7年のことです。

その後は退職金を元手に有限会社を作って、さまざまなことをしました。
香水の量り売り
アクセサリー販売
秋田の特産品開発
招き猫作家の作品販売

好きが高じて、自分が猫をモチーフにしたガラスクラフト作品を作るようになり、ガラスクラフト作家を名乗った時期もあります。

しかし今と違って、ものを販売する手段が対面しかなかった時代です。仕入れて売る、作って売るというだけでは収益など上がるはずもなく、会社は数年で立ち行かなくなりました。

教師には戻れないけれど、もう一度歌を教えたい。そう思った私は、町のカルチャーセンターでコーラス指導を申し出ました。
教育学部卒で研究教科は音楽でしたし、教員時代は合唱部を指導していましたから、久々の指導に熱が入りました。個人で取り組む講座が多い中、コーラスという講座は初めてだったので、目新しさに飛びついてくれた受講生も多く、数年で定期演奏会を開催できるまでになっていました。

しかし。

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