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NHKドラマ『空白を満たしなさい』原作平野啓一郎

死にたいと思ったことは恐らく一度もない。
自分が死ぬくらいなら環境や人間関係を変容させた方が良いと直感的に感じているからだと思う。

直感的に、とは言ったものの、何か基づいている経験があるのだろう。具体的にこれ、という何かがあるわけではない。例えば会社の同僚が言った「ミスしても死ぬわけではないし」というある種の責任逃れの楽観主義かもしれないし、映画や小説などフィクションの世界に身を投じる現実逃避の癖がそのような考え方に至らしめたのかもしれない。

「生きたい」と考えていながらも自殺を選択する、という思考がなかった。この考えの欠如はドラマを通じて喉元に剣が向けられたような鋭さで抉ってきた。君は自殺について深く考えたことなんてなかったんだね、と言われているようだった。これを気付けただけでも観た価値があったと感じる。

自殺を選んでしまった人の周りの人はその事象が起こってしまった後で、「何かできたのではないか、気付いてあげられなかった」と自分を責めてしまう。
けど、「本当に生きたい」とは思っていた、思っていたにも関わらず、何かの拍子に、溢れてしまって、その選択をしてしまった。という可能性があると思えたら、残された人も少し楽かもしれない。

『空白を満たしなさい』のように、戻ってきて思いを伝えてくれるようなことは現実には無いから、そう考えることもできる、というところに留まってはしまうが。

このドラマは、なぜ主人公が死んでしまい、本当の死の理由を探る、というところに留まらず、人間はどうして生きるのか、何をもって幸せなのか、幸せとは何か、という具合にテーマが派生していく。

仕事にやりがいを見出し限界に気付けなくなるまで働いた、そして死を選んでしまった。主人公はそんな自分を反省するが、そこまで追い込んでいった現実にも悪はあると思う。この箇所の描き方はどうなんだろうか、原作を読んでみようと思う。

佐伯、の存在が非常に興味深かった。狂人と思いきや、話を重ねるごとに芯を突いてくる言葉の強さを感じ、終いには彼も孤独で愛されなかった1人の人間なのだと思わされる。本当に生きたい、だけなんだ。

復生後、皆の空白を埋めるように贖罪していく主人公。幼い息子を懐かせるだけ懐かせて動画も残して、また自分は去ってしまうかもしれない可能性に、最後まで逡巡して妻の前で咽び泣く。

なんとも人間らしいではないか、恐らく前まではそんな弱さも見せられなかったんだろうと思い、画面のこちら側でも泣いてしまう。


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