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かつてパニックに苦しんでいた私からあなたへ

杞憂という言葉の由来を知っている人はどれくらいいるだろうか。
かつて、ある中国の人が天が落ちてくるのではないかと心配したことから、取り越し苦労をすることを「杞憂」と言うようになったそうだ。

中学のオリエンテーション合宿に参加した私は、まさに「杞憂」に陥っていた。合宿も終わり近くなった頃、キャンプファイヤーの炎をみんなで囲みましょう、という段になってふと夜空を見上げた瞬間、突然、地面が地面であること、重力によって地面に立っていられる、ということが「信じられなくなった」。

そんなことははじめてで、自分でも何が起きているのか分からなかった。ただ、夜空に突然投げ出され無限に空に落ち続けるのではないか、そうならない保証はどこにあるのか、急に確信が持てなくなったのだ。同じくらい、そんなことは起こり得ないと思っているのにも関わらず、だ。

キャンプファイヤーを囲みながらろくに覚えていない歌を合唱するみんなを遠巻きに見ながら、私は保健の先生に連れられて旅館に戻った。

その後もたびたびパニックに陥った。授業を受けている時に、朝礼を聞いている時に、突然、地面が崩れるのではないかという思考がよぎる。そこからはその考えを打ち消したい思いと、地面がなくなってしまったらどうしようというパニックと、平静を装わなければならないという気持ちがせめぎあった。

そのうち、本当に地面がゆらゆらと揺れているような気がし始めた。本当は地面を何回も踏みしめてちゃんと壊れないことを確認したかったが周りの人の目が気になってやらずにいた。頭だけがものすごく働いている。心臓がバクバクする。逃げたい。でも何回も授業を抜けるわけにはいかない。時計をにらんでとにかくこの時が終わることを祈った。なんとか耐えられた時でも、私の体は冷や汗でびっしょりと濡れていた。

なんで授業を受けるだけでこんなにしんどい思いをしなければいけないんだろう?

いつやってくるか分からないパニック。また同じことが起きたらどうしよう。授業の内容なんてこれっぽっちも入ってこないし、受けたくない。

友達には言えなかった。「地面が突然信じられなくなるんだけど……」なんて、言えるわけがなかった。授業を抜けた後は「うーん、めまいかな?」と適当にごまかしていた。

こうしたパニック症状とそれが起きるのではないかという不安は、断続的にではあるものの、中学1年生の春に体験してから、高校卒業まで続いた。


このパニック症状は、いつの間にか勝手に治っていた。強いていうなら、ストレスフルな高校生活が終わり、大学の生活を楽しみ始めたことがきっかけになったとは思う。

ではそれでめでたしめでたしかと言うと、そうは問屋が卸さない。実は一昨年、ストレスフルな出来事があった時にこの「地面ない病」が再発した。

ちなみに、この時点ではすでに精神科にかかっていたが、上記の症状を訴えたところ、「あんまり聞いたことがないねえ……薬出す?」と返され、意固地になった私は「大丈夫です」と答えた。あー、素直につらいんです、助けてくださいと言えばよかった。

そしてまた、時間経過とともに良くなった。ほっと安心すると同時に、徒労感のようなものも感じでいた。私は、ずっと体に振り回されていた。いや、振り回されている。

残念ながら、私から素晴らしい解決策のようなものを提案することは出来ない。完全に回復したのかと言うとそれも怪しい。
ただ、薬を試したり、色んな「怖くない」経験を積み重ねたり、ストレスの要因が減ることで、少しずつ良くなっていったことは確かだ。

いま、パニックに陥ることが怖いあなたへ。回復までの道のりは遠く、見えないかもしれない。私はせめて、あなたのその「苦しい」のそばにいたいと思う。うん、苦しいよね。と誰かが言ってくれることで、たとえ根本的な解決につながらなくとも、いまのしんどさをちょっとの間もちこたえられる、ということはあると思う。ね、苦しいよね。

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