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私はなぜスピ界隈にハマっていったのか?

この前、エネルギーがあったときに家にある様々なものを断捨離した。その大部分を占めたのが、スピグッズである。袋に詰めていった大量のものたちは、それだけで何か気迫を感じた。

以前、私はnoteでいわゆる宗教2世であること、またその事が私の人生に及ぼした影響について書いた。

宗教が家族の中心にドンとあったことで、私が苦しい思いをしたことは、私にとっての紛れもない事実である。

そんな私は一時期、スピ界隈の情報ばかり集めていたことがあった。どちらかというと宗教的なものに距離を置きたい気持ちがあったにも関わらず、である。

今回のnoteでは、なぜスピ界隈にハマったのかを自分なりに振り返り書いていこうと思う。

なお、宗教、スピリチュアル的なものに対する現在の私の立場は、「その人個人がそれを信じる事によって救われ、信仰によって本人および周囲の人が困る事態にならない限りは、何を信じるのも自由」だと思っている。

そのため、今回のnoteではスピ界隈の具体的な特定が可能な情報については述べないし、それらやそれらを信じる人たちを批判する意図がないことは書いておきたい。

①スピは「圧倒的な逆転」の切符

スピ界隈でよく話されるパターンがある。それは「××という大変な事態があったけれど、◯◯のおかげでこんなふうに人生が好転していきました!」というものである。

これは、似た領域の自己啓発ビジネス本でもありがちなパターンだと思うのだが、スピ界隈との大きな違いは「マジカル」が起きるかどうかという点だと個人的に思っている。

ビジネス本では、成功の黄金律とも言うべき具体的な方法を提示され、それを実践すればあなたも成功者になります!といったふうに、過程や根拠を描かれることが重視されていると思う。

これが、よりスピリチュアル度の高いものになるとどうなるか。例えば呪文を唱えるとかグッズを買うとか、そういったメソッドが提示される点はある種同じであると思われるが、その結果、「神様が/潜在意識が/◯◯様」など不思議な力を持ったものが解決してくれるという形になる。
つまり、行動→結果の間に、「未知の力」というブラックボックスが入るのである。

これが昔の弱っていた自分にとても効いた。と言うのも、たとえ行動が成果につながらなかった場合でも、「〇〇さえやっておけば、Aさんの体験談のようにあっという間に思わぬ"奇跡"が起きて事態が良くなるかもしれない」という期待が持つことができるのである。そうした私が関与し得ない「未知の力」を信じる事は、自責の負担を軽くすることにつながったのだ。

②スピは「原因」が分かる

先の話と矛盾するように思われるかもしれないが、次に挙げたいのが上記の点である。
これはどういうことかと言うと、スピ界隈では「全てのことに理由がつくことが多い」のである。

曰く、今の辛い状況は次の良い自分になるための試しの期間であるとか、前世での行いによって家族仲に影響が出ているとか、今の自分がなぜこんなに辛いのかということに明確な「理由」が提示されるのである。

少し想像してみてほしい。現実の世界において、理不尽な目にあったり、なぜ私だけがこんな思いを、という気持ちを抱いたときに、ズバッと「〇〇が原因なんだよ!」と答えを言い切ってくれることの気持ちよさを。

それが本当かどうかを調べるエネルギーがないときに、このもっともらしい体験談(ネットには多く情報が溢れている)を浴びて、過去の私は徐々になびいていった。そっか、〇〇が原因だったんだ。だから××すればいいんだ。だからこれからは大丈夫、という、なにか最強のお守りを手に入れたような気分になれるのだ。

◎さいごに:もしも当時に戻れたら……?

いまの私はスピ界隈から距離を取っている。なぜかと言うと、実はあまりコレという明確な理由が思い当たらない。
ただ、両親との関係性などを振り返る機会がここ2年近くあり、「あ、親が信仰に傾倒していったのって、もしかして私がスピを信じたい気持ちと似ているのかも」と気づき、結果的に自分の行いを少し引いた目線で見られるようになったから、かもしれない。

今回、断捨離された多くのグッズを目の当たりにして、「うわあ、こんなに買ってたんだ。このお金があればいまごろ……」という、後悔する気持ちが出てきた。しかしそれと同時に、じゃあ当時に戻れたとして、別の選択肢を選べたかと言うと、はっきりYESと言えない自分がいる。

今の私にとってはもう必要のないものかもしれないが、その時の私にとっては大事な支えだったのだ。

ありがとう、もう大丈夫、かもしれないです、と思いながら私を支えてくれたグッズたちとおさらばした。

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