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宗教2世は「あなたはどう思うの?」と聞かれたことが少ないと思う


吉本ばななさんの「はーばーらいと」を読み終えた。
宗教2世の話が出てくると聞いて、これは私が読まないといけない本だと思った。なぜなら、わたしは宗教2世、いや正確に言うと宗教3世だからである。わたしは、生まれた時にはもう入信していた。

あのショッキングで痛ましい事件の後に、色んな宗教2世にまつわる本が出た。もちろん全部読めたわけではないが、タイトルに宗教2世と入っているものは、読むように努めた。それは苦しいことだったけれど、今の私に必要なことだと思ったからだ。

私の、生まれてから今に至るまでの、この感覚をかたどる言葉が欲しい。

切実な願いだった。そういう意味で、私はこの本を読めて良かった。少し息がしやすくなった。

ひばりが反抗的な態度を取った時の、周囲の反応がリアルだった。彼らは決して、ひばりに「どう思っているの?」「どうしてこんなことをしたの?(詰問ではなく、質問として)」と聞かない。

たぶん教えに背く=あってはならないことだからだと思う。(たとえあったとしても、いずれ彼らの教えの真の意味が分かるための過程、のように回収される形としてのものだ)

あってはならないことなので、ひばりの意思を聞く余地はないのだ。「分かるよね?」なのだ。

この感じ、すごく覚えがある。
それは、選挙の時。信仰している宗教が支持している政党に入れろと父が言ってきたときだ。うちは毎年、選挙があると近所の信者の人たちが集まり、祈りを捧げる場になるのだが、そのみんなでのお祈りが済んだ時に、今度は家族全員で投票しに行くから車に乗れと言われた。

私はせめてもの反抗として、なんとなくのろく支度をしていた。急かしてくる父に、父の言う政党に票を入れないかも、とポツリと言った。それは私にとっての、初めてのささやかな意思表示だった。

すると父は、「それならお前のことはもう知らん。いいんだなもう、それで」と激昂したのだ。

思った以上の父の反応に驚き、泣いた。そういう言い方するんだ。私より、宗教を取るんだ。え、私を育ててたのって、選挙の1票のためだったってこと??

混乱しながら泣いて「いいよもう!!!!入れればいいんでしょ!!!!」と2階で泣き叫んでいたら、1階にいた母親、祖母、信者の方々が尋常でない事態を聞きつけて集まってきた。

しかし彼らに言われたのは、一様に「大丈夫だよね」「お父さんの気持ち、分かるよね。今一生懸命頑張ってるからね、みんなね」のようなものだった。

だれも、私の涙に触れない。もし「何があったの」と触れて、私の口から宗教に関するヘイトの言葉なんて出ようものなら、この異質なものをどう扱ったら良いか分からない、という彼らの戸惑いと恐怖をなんとなく感じた。いつも集会に来る見知った「優しい」おじさん、おばさんたちが、私には異星人に思えた。

その後、泣きながら車に乗り、投票所へ行った。乗っている間中、いまこの車のドアを開けたら楽になれるのかな、とぼんやり思っていた。

帰宅してから「偉いねえ」「あなたのおかげできっと当選するわ」など信者の方々に散々褒められた。やめてほしかった。
それと同時に、もしかしたら、こういう時に色んな人から褒められた結果、「自分の存在が認められた」と思って信仰に励む人が出てくるのかもな〜、あー、結局車からの飛び出しは出来なかったな〜などとぼんやり考えたりした。

相手の気持ちを聞かないというスタンスは、父の「この政党に入れなさい」に全て表されている。父にとって、「娘がどんな政党に興味があるかに関心を向けること」や「自分とは違うところに票を入れる可能性」が存在し得ないのだ。だからこその激昂だったのだと思う。

事実、数年経ってからこの話をLINEで持ち出した時に、父は「自分が支持しているところに子どもも入れるのが当然と思っていた。そんなに傷ついてると思わなかった。ごめんなさい」という返信が来た。
でしょうね、という感想だった。私はただ、彼らの延長線の先にあるものとしてとらえられていたのだから。そりゃ、投票しなければ縁切るぞ、は(彼にとっては)道理なのだろう。でも、私と父は、別の考えを持った別の人間なのだ。その違いを認めてもらえないということは、極論、1人の人間としての意志を尊重されないという感覚に繋がりうるのだ。

「あなたはどう感じる?」は、世界のなかで自分の輪郭を守り生きていくうえで大切な言葉の一つだと思う。違う余地を、認めてあげてください。それはしんどいしコストがかかることだけど、欠かせないことなのです。

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