躁うつ日記#10 「頑張る」を手放してドーナツを食らうまで
双極症と診断されて今の薬の種類と量に調整されるまで、日常生活のあらゆることが出来なくなった時期がある。
たとえば、謎の頭痛と微熱に襲われ「入浴できない〜!!!!!」と泣いたり、どうしても体が動かないけれど、洗濯をしなければ明日着る服がないのに布団から出れず泣いたり、仕事でのミスが多くなり泣いたりしていた。爆泣き期間。
役に立ってないしもう死ぬしかないのでは、と当時処方されていた薬を机の上に大量に並べ、規定の量より少し多く飲んだら猛烈な吐き気と頭痛に襲われ洗面台をゲロまみれにしたこともあった。
ベランダに出て、ここから落ちたら死ぬんかな、と下を眺めてみたりもした。
そんな状態の私にとって、料理は家事の中でも鬼門中の鬼門だった。ていうか、無理だった。
なんせ、料理は工程が多いのである。
何を買うか考え、服を着替えてスーパーに行き、必要な食材を探し回り、手に入れた食材を切ったり焼いたり煮たり味付けしたりする。やること多すぎ。何買うかの時点で思考がまとまらんわ。
夫は、そんな私に「コンビニでもなんでも買って食べればいいんだよ」と言ってくれていた。
しかし「料理くらい私がやらなければ」(これはつまり先ほどの"役に立ってないから死ぬしかない"というコインの裏表なわけですが)という思いにとらわれていたのと、いや毎日そんなにバンバン出来合いのものを買ったら家計死ぬやん!!!!でも君は料理全くしないしそしたら私がやるしかないじゃん!!!!!何言ってんだ!!!!という思考を整理して伝える力もなくて、ただ「うううー」と唸って泣いていた。
そうした過去に比べると、今の私はなんと、料理を作れる日があるのである。すごい。
しかし「出来る」ことに慣れてくると、いつの間にかそれが基準になり、出来ていなかった昔のことをつい忘れがちになるのが人間である。
次に私の頭に浮かんできたのが、品数・栄養問題だ。料理を出すなら3品以上はないとだめ。肉か魚はマスト。油ものばっかりじゃだめだよね。サラダを連日作るなら飽きのこないように違う品目で。
こういう、自分で強いたルールにがんじがらめになり、また「ウーーー!!!料理できないーーー!!!!」とじたばたするはめになった。
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最近のカウンセリングで、対人関係において「私が背負わねば!!!」を勝手に発動し、やった結果「なんで私ばっかり」と爆発するパターンがあるのではないか、という話になった。身に覚えがありすぎて辛い。
最終的に「やる/やらない」の判断は私がしているのに、私の思考としては「だってみんなやらないでしょ??じゃあ私がやるしかないじゃん」と思っているので、「させられた」感覚になり、不満につながるのである。
その背景には、相手を信じて任せるとか、相手は相手なりに考えて行動している(から、私ばかりが背負わなくて大丈夫)みたいなことが信用できない、という思いがあると思う。
先生からは、「次に同じようなことが起きたらどう考え、行動しますか?」という質問を投げかけられ、いくつかやり取りをする中で、お互いがお互いの範囲で出来ることについて考えてみる、という示唆をいただいた。
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では改めて今回の料理作る・作らない問題について考えてみよう。
料理は必ず、いかなるときも作らなければならない。そして作るなら栄養を充分考慮したものを作るべきである。はたしてそれは本当なのか?
冷静に考えれば、夫は心身ともに健康な成人男性であるので、ごはんの量が足りなければ自分で買うことができる人なのである。
じゃあ、いいじゃん。まずは、私が自分の疲れを自覚して、しんどかったら料理は作らない。出来合いのものを買おう。なんなら買ってきてもらおう。1日の食費で即破産することはないから大丈夫。体調には波があるもの。調子が良いときに、自炊してバランスを取ればいい。休む時はじたばたせずむしろしっかり休んだ方が、次の日のリカバリーも良くなるんじゃないか?
おお、なんかちょっと、健康的な思考に近づいた気がする。すごい。
もしかして力を抜くってこういうこと??
思考ってこんなふうに変えていけるんだ!とびっくりした。
と、いうわけで、今日の私は1品目しか作っていないし、自分はドーナツを一個食べて済ませている。ちなみに、ここでも私の「べき思考」が暴れ出し、「いやドーナツ一個だけとかでいいんだ!?!?食欲がなかったら、無理して食べなくていいんだ!?!?え、inゼリーとか飲まなくていいの!?せめてバナナ食べる!?!?!?」と自分で自分の行動にビックリしている。なんだこいつ。
私の心はどうやら「〜したい」がガチガチに抑え込まれていて、相当「べき思考」にとらわれているらしい。根深いな……と思いながらドーナツをむしゃむしゃ食べた。
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