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「短気は損気だよ」と言われて育った女はこうなった

自分の幼少期を思い返してみると、園児の時は喧嘩ばかりしまくっていたな〜と思う。どれくらい喧嘩していたかというと、途中で園の先生が「そんなに喧嘩をするならもう知らないから!」と言って、一度、喧嘩の仲裁を放棄したことがあるくらい、トラブルが絶えなかった。(※すべて口喧嘩)

なんで私はこんなに喧嘩してしまうんだろう?と、そこまで言語化できないにせよ、そういう類のことは思っていたし、今日は喧嘩しない!と決めて登園した日もあった。でも喧嘩した。喧嘩して帰った後に「酷いことをした」と思って、次の日には謝ったり、手紙を書いて渡したりした。でも喧嘩した。

子どもなんてそんなのもの、と思われる方もいらっしゃるかもしれないが、私はやっぱり喧嘩が多かったと思う。

母はよく、そんな私に「短気は損気だよ」と言った。損気なんて言葉、当時は意味がわからなかったが、子どもなりに今自分がしていることは良くないことで、咎められているのだということは分かった。でも、はいそうですかと気持ちがおさめられるわけもなく、むしろ怒りを責められている(と感じることで)更に怒りは増した。

さて、そんな私がどんな大人になったかと言うと、「あんころもちさんって怒ることあるんですか?」と聞かれる大人になった。

……と、書くと、なんだかアンガーコントロールが上手にできるようになったと思われるかもしれないが、逆である。怒れなくなってしまったのである。

怒り→良くないもの、というのが結びついているので、怒りを適切な形に変えて出す、というやり方がよく分からないのだ。

それもあってか、学生の頃は、いわゆるいじられキャラの立ち位置になり、友人に遊びの延長という形でペンケースを真っ黒に塗られたり、新品のシャーペンを分解されて使いものにならなくされたりしていた。
そんなことをしてくる人にはきちんとNOを突きつけるべきだったと思う。でも、その伝え方が分からないのだ。怒ったらだめだから。どの度合いで怒るのが適切なのか分からなかったから。

もし小さい頃の自分に声をかけられるなら、むしゃくしゃしちゃうのは悪いことじゃないよ、と伝えたい。その上で、相手がどう思うか、相手にどう伝えたら良いのかを一緒に考えてあげたい。

小さい頃は、まだ自分の気持ちや考えを、自分1人ではうまく伝えられない。だから大人の私が、「もしかして、こういうこと?(こういう気持ち?)」と想像して伝えてあげたい。

そうしたら、少しずつ言葉と気持ちがつながっていくはずだから。自分の気持ちを殺さずに、上手に付き合っていけるかも、しれないから。

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