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歴史をあんまり知らない人、という新規市場

デザインやマーケティングの話になるんですが、現代はもう「いいものを作ったら売れる」という時代ではありません。サービスもプロダクトも飽和してますから。

コンテンツ産業も同じ。

では飽和した市場で、どのようにして新しいサービスやプロダクト、コンテンツを考え出すかというと、いろんな手法がありますが、代表的なものに、それを使用する架空の人物を設定する「ペルソナ」という手法があります。

(「ペルソナ」はこの場合「仮面」ではなく、架空の人物というような意味合い)

この架空の人物「ペルソナ」の、名前、年齢、性別、学歴、家族構成、ライフストーリーを設定し、どのようにサービス・製品のことを知り、手に取り、利用し、どのような体験をして、どのような満足感を覚えるか、まで具体的な言葉に落とし込む。

「多くの人」じゃなくて、確実にそれが届く「誰か一人」を設定することで、ブレのないストーリーをサービスに込めることができます。

そういう意味では「西郷どん」は、もしかして代表的視聴者のペルソナを設定してるのかな? というくらいブレなく、

「歴史が嫌いというわけではないが、これまであまり興味を持っていなかった」「女性」「高齢者 or F1、F2層」「これまで大河を継続して視聴してこなかった」「近年の大河の複雑な構造についていけない」

などの層に向けて作られているなあと思います。

この歴史に強い興味がない層へのアピールに徹した作劇を、「歴史への敬意が足りない」というふうに捉えてしまうと、それは誰も幸せにしないし、そもそも分析として間違っているんじゃないかなあ。


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