「ひょうご経営者列伝―ベンチャー精神の軌跡」加藤経済部長による特別講演シリーズが開始!
アンカー神戸では3月8日に、神戸新聞編集局経済部の加藤正文によるセミナーを開催しました。「地域経済の可能性を探る」と題した特別講演シリーズの第1回で、テーマは「ひょうご経営者列伝―ベンチャー精神の軌跡」。戦後から令和の現代にかけて、兵庫県内で足跡を残した数々の経営者にスポットを当てて、兵庫の地域経済について多くの参加者が耳を傾けました。
■重厚長大産業から新時代のベンチャー像へ
加藤部長は1989年に神戸新聞に入社。「一貫して地域経済を自分のテーマとしてきた」というプロフィールを紹介した後に、元旦の特別紙面からスタートした連載を紹介しました。連載では「失われた30年を超えて 経済大転換」と題して、阪神・淡路大震災が起こった1995年から30年の間に何があったのかを検証。「バブル崩壊から阪神・淡路大震災という流れが平成の大きなショックのはじまり」だと言います。
まずは高度経済成長期に造船や鉄鋼で飛躍した神戸の重厚長大産業の歴史をたどります。川崎重工業の製鋼部門から独立した川崎製鉄を鉄鋼大手に飛躍させた西山弥太郎や、その薫陶を受けて日本有数の鉄鋼メーカーであるJFEホールディングスの代表を務めた数土文夫さんらの系譜を紹介。
「経済大転換」と題した連載ではその後、ウシオ電機の牛尾治朗、オリックスの宮内義彦、パソナグループの南部靖之、楽天グループの三木谷浩史らの経営者をクローズアップ。規制改革を志向しながら成長を目指す新時代のベンチャー像を持つ彼らに共通するのは、いずれも阪神・淡路大震災から目覚めてきた点だと言います。
■神戸市の「都市経営」と今後
神戸市の政策においても考察されました。神戸市は臨海部を中心とした大都市を持つ一方で、広大な面積を持つ北区と西区では農業も盛んです。入社したころは「都市経営」と高く評価され、当時の宮崎辰雄市長は西神・北神などの山を削った土砂を活用して2つの人工島を作り、コンテナヤードも作って貿易船が多数着港できるようにしました。ポートアイランド博覧会も開かれ「国家でなく都市が経済を引っ張っていくという気概があった」と言います。阪神・淡路大震災30年、関西万博、神戸空港国際化というトピックが重なる2025年は「地域経済のターニングポイントになる」と指摘されました。
■戦災復興から、文化と溶け込んだベンチャー精神
重厚長大産業が発展してきた一方で、神戸では衣食住にかかわる多彩な分野で「生活文化産業」も発展。まずはダイエーの創業者・中内功の苛烈な人生を著書「価格破壊」で描いた作家・城山三郎さんへの取材を交えて紹介されました。中内さんはフィリピンの戦線から生還して闇市で薬屋を開業し、のちのダイエーの発展を築きました。消費者本位で良いものを安く提供した中内さんの姿は「資本主義の原点」だと言われていたとのことです。
その中内さんが開設した「中内学校」の門下生が、現在の上島珈琲や和田興産らをけん引。スポーツで街を振興することを目指したアシックスや風呂を普及させたノーリツ、真珠産業で台頭した田崎真珠なども戦後の焼け跡がルーツとなっており、当時の神戸は「戦争を経験した名もなき青年たちが業を起こしてチャレンジするまち」だったと言います。
近年では惣菜・中食文化を広めたロック・フィールドや震災後に神戸に移転してきたフェリシモ、有名パティスリーを輩出して洋菓子文化を牽引してきたエーデルワイスなどにも言及されました。
■地域経済の可能性「足元を掘れ、そこに泉わく」
城山さんが言った「資本主義の原点」があった神戸には、連綿とこの街でモノを作り、そこで働いた人たちが神戸で子どもを育て、目の肥えた消費者が生まれているという系譜があります。加藤部長は「富や人口で計らずに、住みやすさ・文化など総合的な魅力を高めることが鍵」と言い、最後には「足元を掘れ、そこに泉わく」と行ったニーチェの言葉を紹介。「ここに来たい、住みたい、働きたい」という価値を再点検していくことが地域経済の可能性につながると締めくくりました。(敬称略)
(アンカー神戸マネージャー 射塲正己)
第2回(4/14)、第3回(5/18)の講演も現在参加募集中です。
詳細はこちらをご覧の上、ぜひご参加ください!
https://anchorkobe.com/information/detail.php?id=20356
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