「反抗」は、クリエイティビティの根元。平和の中でも問いを持とう。
「反抗」
というと「反抗期」とか「反抗勢力」とか、
少々ネガティブなイメージがあります...
でも、よく考えたらクリエイティビティの根元って
「反抗」なんじゃないか??と思いました。
反抗は、クリエイティビティのはじまりであり、それはデザインである。というような話についてです。
反抗からのクリエイティビティ
メインストリームに意義を唱えることで最初は少人数のコミュニティができてその中で文化が形成されてきました。
アートの部分で言うと、愛知トリエンナーレの騒動もアートでの反抗に対する国からの反抗であったし、バンクシー(現在横浜で展示開催中)も戦争反対と壁に落書きというダブルの意味で反抗しているし、最近話題のフォートナイトのパロディに関しては共産主義への反抗である1984の世界への反抗であるAppleのCMへの反抗、という反抗のチェーンをひいている部分がすごく面白いと思います。
自然災害に反抗するために人類は創造性をつかってそれを解決してきたし、組織上層部への反抗をクリエイティビティから行ったことによって、世界中に今のような自由があります。
「平和」は、クリエイティビティを伸ばさない。
日本は、平和です。
もちろん、それはめちゃくちゃいいこと。
でも、
「平和であること」が創造性を伸ばす妨げになっている
という可能性はあると思います。
" 平和だから、問いを持たず、ただ言われたことやすでにそこにあるものを「正しい」と信じ込んで疑わないことこそが真面目で良いことだと思いながら、生きていく。"
そんなことをやっていたら、いつまでも創造性を発揮する場はありません。
本当は、誰でもきっと「あれ、おかしいな」って思う場面が、生きていれば必ずあるはずです。
その問いを、捨てずにしっかり持ちながら、反抗と思考を続けて、クリエイティブに解決策を導いていく。
そういうことが、いつの時代も大事なんじゃないかなと思います。
権力保持者に、反抗しよう。
先生に言われたことも、上司に言われたことも、「それ、おかしくね?」と思ったら、しっかり反抗すること。
僕自身、小学校中学校のときに反抗をしていて先生から暴力などを受けていましたが、これは論理的に的を得た批判を僕がしていた証拠だと思います。(今でも言っていたことが間違っていたとは思えないことがほとんど)
暴力的ではない反抗に対して、「暴力」での制裁が下れば、制裁者は「悪」であると僕は考えています。権力を持つものが権力下の者に暴力をふるうのは非常に動物的だと思います。
思考して、解決案を持って、それを伝えていくこと。
これを反抗と捉えると、それはすごくクリエティブな作業であり、
反抗=デザイン
とも考えられます。
いくら平和といえど、まだまだ課題だらけのこの世界。
反抗(デザイン)して、より良い世界にしていきましょう。
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