見出し画像

なぜ日本人が型にハマってしまうのか?


型にはめるにハマる日本人/アナトミスト江戸人

『型にはまる』に虜の日本人


武道やスポーツを学ぶときって、まず最初に基礎というものを学んでルールや型にはめ込んで練習や鍛錬していきますよね?

そして、その業界だけに限らず、それは教育現場や会社での研修などでも同じ。

私たちが当たり前のようにやっていることだから、誰も気にしないしそういうものだと思い込んで、言われた通りにやるということを常日頃からやっている方がほとんどなのではないでしょうか。

それは、それで私も否定はしないですし、それで良い場合もあります。

特に武道は、和の心を重んじます。
それによって礼儀や作法を大切にするので、実に日本らしくて素晴らしい文化だと考えています。

しかし、その反面で、時にそれは行き過ぎてしまっている現状があるのも事実ですが、型にハマるのって、実際凄く安心感がありますよね。

私たち、日本人が無意識に受け入れてしまう、この『型にはめる』。

実は、日本人…いや、日本で当たり前のように受け入れているある習慣が、型にはまることを必要に求めてしまうということをご存じでしょうか?

しかも、その習慣は100%の日本人がやってしまっているとハッキリ断言します。

実は、この記事をここまで読んだそこのあなた

既に、あなたはもうその習慣を当たり前に受け入れています

そして、あなた自身も既にもうその習慣をやっています

今回は、普段皆さんが当たり前のようにやっている習慣が、『型にハマる』ことの安心感を求めているという事実を紹介していきます。

他国と比べるのは劣等感?

スポーツ業界などでよくあることをお話します。

例えば、そのスポーツにおいて優れた選手がいるとします。

優秀な選手が仮に日本人だったとしても、抜き出て成績をおさめていないとしたら、同じ成績優秀者だとしても、日本の場合、日本人より海外の選手の分析を多くします。

これは、スポーツの世界にだけに限らず、他の業界でも比較対象が海外であることが多い印象はありませんか?

「韓国で流行っている」とか「アメリカ発の~」などがそれに言えます。

日本は日本らしくあってほしいと思いますが、なんというか、劣等感を感じてしまい、私としては残念な気持ちになります。

話を戻しますが、まず、私たちがスポーツを習い始めたときに最初に基礎となる『やり方』を学びます。

では、日本と他の国ではどのように覚えていくのか考えてみましょう。

成り立ちで変わる運動の価値観

物事の基礎を考えるとき、日本と他国はどう違うのか、分かりやすくするために武道とボクシングで比較してみましょう。

武道は、『武士道の伝統に由来する日本で体系化された武技の修錬による心技一如の運動文化』であり、心技体を一体として鍛え、人格を磨き、道徳心を高め、礼節を尊重する態度を養う、人間形成の道と定義されています。

つまり、心と身体を一体にする技法が『型』であり、その型に当てはめて形を覚え鍛錬していき極めていく中で身体だけでなく精神性を養っていくことを目的にしています。

武道は物理的な強さを追究するだけでなく精神も含めた総合力を育てていくというイメージに私は近いと考えています。

一方、イギリス発祥のボクシングは古代ギリシャの「ピクス」または「ピグメ」と呼ばれたものがボクシングの祖先であるとされていて、もともとは素手で殴りあい命をかけて戦っていたものが、一旦消えて、復活してまた消えて、16世紀頃に再び復活するという歴史があるそうです。

そして、復活した際も、賭けごととして扱われていたので、総合力ではなく勝敗、つまり、強いか弱いかに重きをおいていました。

長期的視点から修練する武道は、言わば、ゴールから今に向かってくるものであり、次の試合の勝敗というように短期的視点からトレーニングするボクシングは今からゴールに進むものなので性質が真逆ですよね。

何のためにするのかという成り立ちの違いによって運動の在り方が大きく変わることが分かります。

では、なぜ日本の武道は長期的目線から人間形成を目指し、且つ、それを型にハメることを用いて育むようになったのか、ある視点から読み解いて考察してみたいと思います!

日常に使う○○が日本人を型にはめる

なぜ日本人はここまで「型にはまる」ことを好むのでしょうか?

それは私たちの文化や歴史に深く根ざしているからかもしれません。

しかし、さらに深く探ると、私たちの日常的なコミュニケーションの中にその答えが隠されているかもしれません。

実は、日本人が「型にはまる」理由の一つは、私たちが日常的に使用している文字体系にあるのです。

日本語はひらがな、カタカナ、漢字、そして英語という四つの異なる文字を組み合わせて使用しています。

この多様な文字体系が、私たちの思考や行動にどのように影響を与えているのでしょうか?

次に、その関係性について詳しく探ってみましょう。

文字体系が形作る「型」


アナトミスト江戸人

日本語の文字体系は、ひらがな、カタカナ、漢字、そして英語のアルファベットという四つの系統から成り立っています。

この複雑な文字体系は、他の言語と比べても非常に特異です。

そして、この多様な文字の使い分けが、日本人の「型にはまる」文化を形成している要因の一つではないかと私は考えています!

1. ひらがな:柔軟性と一体感

ひらがなは日本語の基本的な音を表し、柔らかな曲線で構成されています。

その形状から柔軟性や調和を感じさせ、日本語の基本となる書き言葉のリズムを作り出します。

ひらがなの使用は、文章全体に一体感を持たせる効果があり、形式に従う安心感を生み出します。

2. カタカナ:外来語と独自性

カタカナは主に外来語や特殊な用語を表すために使われます。

これは日本人が外部からの影響を取り入れながらも、それを自分たちの文化に適応させていく方法の一つです。

カタカナの使用は、外から取り入れたものを「型」に当てはめて消化し、自分たちのものとして再構築する過程を象徴しています。

3. 漢字:意味と象徴性

漢字は一つ一つの文字が意味を持ち、その形状も象徴的です。

漢字の学習は非常に時間がかかり、体系的な学びが必要です。

この過程は、物事を理解するためには「型」に従って学び、習得していく必要があるという考え方を強化します。

漢字の存在自体が、秩序と規則に従った学びの象徴です。

4. 英語:国際化と多様性

近年、日本では英語教育が重要視されています。

アルファベットの導入は、日本語の中に異なる体系の文字を取り入れる挑戦であり、国際化を象徴しています。

しかし、この英語も、ひらがなやカタカナ、漢字の枠組みの中で使われることで、「型にはまる」安心感を与えています。

まとめ

こうして考えると、日本人が「型にはまる」ことへの安心感を求める背景には、日常的に使っている文字体系が深く関与していると言えます。

四つの異なる系統の文字を使いこなすことで、日本人は言語の中で「型」に従いながらも、その枠内で表現の自由を広げることを学んできました。

この文字体系が、日本人の思考や文化の根底にある「型にはまる」ことの基盤を作り上げていることが読み解けますよね!

文字を通じて「型」に従いながらも、その枠内で自由な表現を追求することは、日本人にとって自然なプロセスです。

このプロセスを通じて、私たちは独自の文化や価値観を育み続けてきました。

これからも、文字と「型」の関係性を理解し、尊重することで、日本文化の深みをさらに掘り下げていくことができるでしょう!

私たちの日常に溶け込んでいる「型」の存在は、単なる制約ではなく、創造性と自由を育む土壌でもあります。

この視点を持つことで、私たちは「型」に対する新たな理解を得ることができ、より豊かな文化の未来を築いていくことができるのではないでしょうか!!









この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?