子育てで潰れる理由がわかった気がしたのと、それに対する新米父ちゃんの私の見解

親が子を死なせてしまう悲しい事件を見聞する度、大切な我が子になぜそんな仕打ちができるのだろうと憤る人は多いだろう。私もそうだ。しかし、実際に子育てをしてみてこそわかることもある。

私など、子育て歴にしてたかだか2ヶ月の超若輩者だが、それほど短い経験からですら、子を産み(産むのは妻だが)育てることの労力とそれに伴うストレスの強烈さは、大いに実感することができる。

肉体的な疲労と精神的なストレス

夜中に泣き続けられて、睡眠を阻害されることは、確かに辛い。でも、それは主に体力的な辛さ、つまり疲労だ。疲労は、子育てを難しくする要因の根幹にあるものだけれど、単純な話、寝れば回復する類のストレスだ。

それに比べて、回復が難しく、ときに破壊的な結果をもたらすのは、精神的なストレスだろう。

初めて子育てをする親は、それまでの人生で、寝たいときに寝、翌朝、自分で決めた時間に起きていただろう。寝坊をすることがあっても、最悪の場合、朝食をスキップして電車に駆け込むことはできる。

しかし、赤ん坊の場合はそうはいかない。

赤ん坊は、やっと寝かしつけて親がベッドに入ったその瞬間に起きるし、着替えたばかりの服にミルクを吐き散らすし、オムツを替えているときに放尿するし、突然、自ら脱糞したオムツの中に足を突っ込んだかと思うとそれを床に蹴り落として大暴れしたりするのだ。それも、午前3時に。

昨日寝かしつけに有効だった方法が、今日うまくいくとは限らないし、原因不明で夜通し泣き続けたりする。そして、そんな無理ゲーが、自分の人生に、突然、出現する。参加するのは、ゲームのルールもろくにわからない(どのみちルールは日替わりだ)素人がふたり、それも「良くて」ふたりだ。

気がつくと時計は何時間も進んでいて、その間自分は一睡もしていない。フィジカルとメンタルをごっそり削られた中、しかし、それでもこの「暴君」を諦めることは許されない。遅刻したときに朝食をスキップするような手は使えない。

なぜなら、あなたは「保護者」なのだから。

自分にも、起こり得る

この無力感と義務感がスパイラル状に絡み合って、世の親たちを苦しめる。

多くの場合、これらの子育ての「洗礼」は将来の笑い話のタネになるのだろうが、扱いを間違えれば悲劇をうむ。何しろ、この暴君の絶対性の根拠は彼(彼女)がこの上なく脆弱であるというただ一点にのみ立脚していて、故に、反逆は常に可能だからだ。つまり、親にとって赤子に手をかけることは、物理的には、文字通り「赤子の手をひねる」ほど簡単なのだ。

精神的に追い込まれれば、誰だって「そういう状態」にいくばくかは近づいている。だから、親は、特に初めて親になる人は、「私も、疲れ切ってしまえばそうなってしまうかもしれない」と考えることだ。そうすれば、疲れ切る前に休む判断ができる。

「私に限ってそんなことあるわけがない」と慢心していると、それができない。疲れ切っても、愛が勝つと思ってしまう。そうして、終いには運動不足のアキレス腱みたいに切れてしまう。なにしろ、初めて経験するストレスの質と量なのだ。

妊娠・出産が、現代においても100%安全ではないことを今回、痛感したわけだが、無事に出産をしても、親自身が自分の状態を正確に把握して、適切な対策を講じることができなければ、現代であっても簡単に子供は死んでしまう。

母乳へのこだわり

ある時、妻が夜中になんども授乳のために起きなければいけなくて、とても辛そうだったことがあった。今夜はミルクだけにして俺が面倒みるから寝てなよ、と言ったのだが、頑張って起きて母乳を与えようとするのだ。

妻は、子供が母乳で育つことの重要性を私に力説した。母乳の、ミルクに対する栄養学的な優越を疲れた顔で懇々と説くのだ。母乳が子供の発育に資することは私も知っていたし、今まで関わったプロ(医者や助産師など)の人たちもその点は同じだ。しかし、彼らから「絶対に母乳で育てろ」と言われたことはなかったし、皆一様に「ダメならフォーミュラでいいよ」と言っていた。

よくよく聞くと、妻はインターネットから母乳関連の情報を得ていたようだった。妻曰く、インターネットの情報を見ているうちに、子供は絶対に母乳で育てなければいけないと思い込むようになっていたらしい。母乳で育てることは息子にとって「ベスト」であり、「子供にベストを尽くす」ことができない親は、特に母親は、親として失格だという「圧力」を感じるのだそうだ。

でもさ、と私は妻に言った。

息子のためを思って夜通し起きてくることは素晴らしい献身のあらわれだと思うけれど、そのことで疲労困憊し、日中のキッチンで大やけどをしたり、息子を取り落としたり、交通事故を起こしたりしたらどうするのか、と。

情報は、即、正解ではない。

自分自身が正常な判断力を持った状態でその情報に接しなければ、つまり、その情報を信用し、適用することのリスクを吟味する意思がなければ、その情報の提供主が想定するようなベネフィットを受けることはできない。

なぜなら、それらの情報は、あなたがそれを正しく活用できる環境にあるかは加味されていないことが多いからだ。あなたが寝不足で、疲労困憊していて、孤立無援で、脱水症状気味で、ひどい肩こりと腰痛に悩まされていて、経済的に不安定で、かつ誰にも相談できないことは、その情報には含まれていない。

自分がとっくに限界にきているのに、「子供のために」、「母親失格だから」、「自分が無理してでも」その情報を盲目的に取り入れようとさらに自分が疲弊することは、果たして本当に子供のためだろうか。

情報に対する態度

私は、パイロットだからかもしれないけれど、どんなことでも全てが100%うまくいくことなんてないと初めから諦めている。良かれと思ってやったことのいくつかは裏目に出るし、くじは外れるものだ。あちらを立てれば、こちらが立たず。完璧主義者は、パイロットにはなれない。

コクピットでの最優先事項はいつも明白で、それは、絶対にお客さんを傷つけないこと。その中でベストを尽くす。安全を担保するには、あえてお客さんに迷惑をかける判断をすることもある。

例えば、到着地で天気が悪くゴーアラウンドしたとしよう。上空で待機してもう一度アプローチするか、さっさと諦めて近くの空港にダイバートするか。どちらにもメリットとデメリットがあるし、どちらにしてもお客さんには迷惑をかける。でも、迷惑をかけまいとして強行着陸することは絶対にしない。

キャプテンは誰だ

そして、私の親としての最優先事項は、息子を大きな事故から守ることだ。

それができれば、母乳だろうがミルクだろうが、寝るときの部屋が暗かろうが明るかろうが、抱っこで寝ようがベッドで寝ようがジーナ式だろうがモンテッソーリだろうがまあるい抱っこだろうがラララ雑巾だろうが、なんでも構わない。はっきり言って、瑣末なことだ。

私にとって大事なことは、自分のストレスをモニターして、限界がくる2割くらい前に助けを求めること。妻に私の様子をモニターするように言うこと、妻の状態を私もモニターすること。疲れたら早めに休むこと。インターネットの情報ではなく、かかりつけ医の言を一次情報にすること。

お互いが限界に近づきつつあると判断すれば、誰かに助けを求めるだろう。もしそれができなければ息子を安全な場所に放置して、二人で休むこともいとわないだろう。いずれにせよ、息子に「迷惑をかけまい」として自分たちが度を超えた無理をするような真似は絶対にしない。

インターネットに何が書いてあろうが関係ないし、仮に親や友人が何か言ってきても気にしない(もちろん、言われたことはないよ)。キャプテンがダイバートの判断をするときに、インターネットで検索したり、乗客の不平不満を考慮に入れないのと一緒だ。そして、この場合、キャプテンは、私やあなたであり、息子やあなたの子供、親や友人は乗客だ。

あなたが潰れたら、その中で最も大切な乗客が、冗談ではなく怪我をしたり、場合によっては命を落とすことになる。

自戒を込めて。操縦桿をしっかりと握っていよう。

たくさんの方々からサポートをいただいています、この場を借りて、御礼申し上げます!いただいたサポートは、今まではコーヒー代になっていましたが、今後はオムツ代として使わせていただきます。息子のケツのサラサラ感維持にご協力をいただければ光栄です。