貨幣の弊害をどう防いできたのか

「貨幣が流通するとは、社会的な協力の成果です。お互いに協力し合い、信頼し合うから貨幣は流通する。ただその中で、人々の社会的な信頼や協力にタダ乗りして、成果としての貨幣だけをつまみ食いする不届きな人間が出てくる。貨幣をたっぷり持ってさえいれば、自分は他人の世話にならなくても生きていけるはずだ、そういうかたちで自分は社会を超越していると思い込む人間が出てくる。こうして富者は傲慢になります。その結果として、貨幣の流通は社会の成果であるのに、まさにその成果によって社会が解体する危険が生じるというディレンマが生まれる。こうしたかたちで貨幣は一転して社会の自由と安定に対する脅威となります」

「貨幣フェティシズムの脅威に対するギリシア人の答えは、文化と教育による人間の陶冶でした。強制的手段で解決できる問題ではなく、人間の性の問題ですからね。ギリシャ文化はそうした陶冶を可能にしました。人間の尊厳は、死すべき人間、人間の脆さ、儚さ、悲しさと結びついていました。ギリシャ悲劇は人間の弱さ、危うさ、愚かさ、人間が過信と錯誤に陥りやすいことを如実に示していましたが、それを観る事はアテネ市民の公的な義務になっていました」

「そうした市民教育が、共同体の長期的利益を軽視して目先の私利に走るという貨幣がもたらす弊害を抑制したと考えられます」

現在日本に暮らすぼくたちにこの共同体意識が希薄なことが大きな問題でなんだなあと思う。

関曠野『なぜヨーロッパで資本主義が生まれたのか』


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?