功利主義でも理想主義でもない道としてのデモクラシー
「もっとも深刻な問題は、人間には動物のような集団形成の本能が存在していないことです。しかも人間は労働分業の下で社会的協力なしには生きていけません。人間はこのディレンマを本能ではない創意工夫によって、文化と政治によって解決するしかありません」
和をもって尊し。日本の文化と政治の原点を改めて想う。和をもって尊しがいつのまにか同調圧力へと変節してしまった日本の歴史も想う。
「功利主義者や唯物論者は、人間には快楽を求め苦痛や死を恐れる本能があるとして、この本能を基盤として社会秩序を構築できると考えましたが、これは妄想でしかありません」
「他方で功利主義者や唯物論者の対極には、プラトン以来の理念的国家論者がいます。彼らは、人間には動物にはない天使のような知性や冷静があるから正義の理想国家を作り出せると信じている。これは人間の宿命的なディレンマを無視し隠蔽するものです。この種の理想主義、理念主義は歴史上、数多くの災いをもたらし人類を苦しめてきました」
功利主義、唯物主義だけに人間は収まらず、かといって理想主義、理念主義にも人間は収まらない。それはそうだけど。
「政治体制としてデモクラシーが望ましい理由は、この体制が人間に自分が過ちやすく脆弱な存在であることを自覚させるからです。常人を超えた超人的カリスマ的人間がいるとは信じないからです。そしてデモクラシーにおいては、先に述べたディレンマの政治的解決は暫定的一時的なもので絶えず修正されるべきであることが公認されているからです」
民主主義的解決がいつも暫定的で一時的で絶えず修正されていく不断の運動であることを、私たちはいままさに実際に体験していこうとしている。と同時に、社会が行き詰まってきたときに超人的カリスマを求めるのも人間の弱さを抱えている。そういう自覚をどれだけ多くの人で共有できるかが、とても大切だと思う。
関曠野『なぜヨーロッパで資本主義が生まれたか』
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?