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サカナクション山口一郎さんのうつ病の話について。

高校生時代を鬱病と共に過ごし、大学生時代も社会人時代もそして今もずっと鬱病と共にある一人の音楽好きな人の感想。

思い出して欲しい。彼の事を。
フジファブリックの志村さんの事を。
彼のLIVEを見れるなら見るべきだ。
光を失っている。見るからに鬱病を患っていた。
そして間もなく亡くなった。
彼が生きていれば丁度山口さんと同じ齢だったはずなんだ。
彼の叫びをまだ気づいていないのか。と、
知って欲しい。魂が消えた目を。

鬱病は永遠の暗さだ。
生きる理由がない。ことに気付く。
必要がない。一日が辛くて辛くて、終わらない日々を恨む。
終わらせたいこの苦しみを。
揺蕩うだけの世界。
全ての雑音が迫ってくる。呼吸困難になる。
大好きな音楽が雑音になる。耳を塞ぐ。
苦しみが巡って怒りになる。視界が色を無くす。
無理矢理に動かそうとする全てが厄介だ。
只、静まり返ってくれよ。
只、深海に沈んでいる。
あぶくがたまに口角から浮かぶ。
呼吸する身体を恨むよ。
虚空を打つ心音がズキズキと締め付ける痛み。
圧倒的な頭痛に気絶しそうになる。
生きるを止めない体に訴えかけたら、
滲む血と開いた傷が正気を少しでも保とうとしてくれる。
帰りたくない。
帰る場所はここじゃない。
何処だ。
彷徨う、揺らぐ、帰りたい。
何処へ?
全て失った?否、最初から何もない。
何もないから、失ってもいない。
ぐらつく視界。引き摺っている。

小学生時代から虐められて来た最初の自殺願望は小学3年くらいの時から。
分かるようになった時からずっと虐められてきた。
異質だったはずだ。恐らく。
そして家に帰ったらスパルタ母に関与しない父。
当然居場所なんてなかった。
居場所が必要だと思い奮起したのは東京に引っ越した時。
振り回されない家が必要だった。
自分の家が必要だった。
でも今実家に戻って思うのは、本当の自分の家は今も東京の部屋だと思う事だ。勿論既に失われているが。
鬱病は厄介だ。
その頃の景色が全てトラウマに変換されて、広島はほとんどトラウマで塗りつぶされている。
だからどこかで多分東京に帰るんだろう。
家が東京にある。心まで。

鬱病になって良かった?事もある。
人の辛さが分かる。
まぁそもそも心根の優しいものだという自負はあるが、相手が深みにある時が分かるようになった。

それと、鬱病の深さが深ければ深い程、何度もやって来るあの波が分かるようになった。
これは無理だなという目安が分かるようになった。

そして鬱病は独自の想像力を齎した。
死が迫る深みで生み出されたものは自分の傑作だ。


鬱病になって深海に沈んでいた。
鬱病は夜ではない。
夜ではないから明けない。

常に深海である。
だから深海に沈むしかないのだ。
まだ陸に上がったことがない。
不思議といつまでも深海なのだ。
たまに地底熱で温められたり、氷塊が凍えるのを促す。
只それだけなのだと、それは自然現象なのだと。
だから己から浮かび上がるのは到底無理で、
周りから引っ張られるのは無茶で、
どうしようもなく深海を受け入れるしかないのだ。
いつまでも深海だと分かるしかない。
それでいい。
何年経ったって傷は傷のままだ。
未だになんで深海にいるのか分からないけど、そうじゃない方に動くのは躁鬱状態だ。基本。
悪い方にしか動けないのだ。
だからまだ寝れる事だけ良かったと。


理由などなくていい。最初から理由などなかった。
だから深海を受け入れる。


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