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堂本剛の思い出。

堂本剛の「これだけの日を跨いで来たのだから」という曲が再度歌われて、
この曲は自分だけのお気に入りだと思っていたら、
意外と皆大好きだったという事が分かったので、良かったなぁと思う事と、
じゃあ自分にとっての堂本剛って何なのだろうと一旦纏めたいもの。


~小学生時代。

物心ついた時には既にkinki kidsのフラワーが、学校で流れていた。
出身は広島なので、ポルノグラフィティのアポロやらアゲハ蝶は当然ずっと鳴っていたけど、それ以外の少ない曲だった。
でも小学生5年生になるまではJ-POPは理解していなかったと思う。

でもその頃から中学受験の為の塾が夜遅くまで補講をしていて、
それに毎度参加していたから、それから家に帰ってご飯を食べて、深夜に少しテレビを見ていた。
その時に「堂本剛の正直しんどい」という番組を見ていた。
それが最初の出会いだった。

それから暫くして余りにもCDプレイヤーが欲しくて親にねだって、そして人生で初めて買ったのは、ポルノグラフィティの「BEST BLUE」だった。

そして2枚目はkinki kidsの「KinKi Single Selection II」だった。
覚えている。
鮮烈だった。知っていた。
あの時には「堂本兄弟」も見るようになった時期だ。
あの時から堂本剛が大好きだという自覚があった。

中学時代~高校時代。

それからENDLICHERIの活動が始まる。
ソメイヨシノが登場して聞いた時、何故か泣いた。
何故泣いたのかは今は分からないけど、いつの間にか涙が落ちた。

CowardとN.A.R.Aは今も影響を持つ。

その頃、堂本剛の[si:]を聞き始めたり、「ROSSO E AZZURRO」を聞く。
お気に入りの曲を沢山増やしていた。
何が一番好きかと聞かれたら、全部好きだったとか、並みの事しか言えないけど。
でも広がる世界観と儚さ故の脆さが揺らぐ曲達と、泣きながら叫ぶ様な曲達は、これからもずっと自分に残るだろうと思った。

244ENDLI-xの時も近くのショッピングモールで今にも潰れそうなCDショップでフライングゲットをした記憶がある。
というかこの時代のCDが音源の媒体だった時は、いつも好きな歌手は曲を聴く前から予約をして買っていた。
244ENDLI-xの曲も好きだ。
ENDLICHERIの活動で初めてファンクに触れたし、
それ以降ジミ・ヘンドリックスも聞くようになったし、今もあの頃の彼の原点の音楽は私の選曲に影響を与え続けている。

堂本剛の楽曲の中でも特に自分に影響を与えた曲は、
「これだけの日を跨いで来たのだから」
「空が泣くから」
「闇喰いWind」
「故意」

この上の曲はヒトカラをする時にはずっと歌い続けていた。

「闇喰いWind」の曲から出た自分の想像したモチーフを、学校で狂ったように彫刻して、美術の先生に「そっちを表にした方がいいんじゃないか?」と褒められたことがある。
でも裏だから良かったとか考えていた。今もそう思う。

「故意」のイメージイラストは数え切れない程書いた。
もうどれくらい描いたか分からない。

「空が泣くから」は心が通じる曲だ。
私は晴れ女なのだけど、本当は雨が好きで、雨が愛おしい。
空に捧げるようにこの曲を歌うと少し小雨がやって来る時がある。
不思議な曲なのか、それともそんな天気だから歌いたくなるのか。
でも空に捧げたくなる曲だ。
そして最初に聞いた時に、同じく何故か泣いていた。
それは覚えている。
多分感性が強すぎる…。

「これだけの日を跨いで来たのだから」は本当にずっと好きな曲だった。
自分の人生にも不条理を受けて、どうしても辛くて、絶望に落ち込んでいる時に、
そんな自分に捧げようと、慰めようとする自分の歌になっていた。
今は過去の絶望の自分を慰める為の曲でもあった。
だから初めて聞いた時からずっと歌い続けていた。
多分一人で歌っているんだろう、この曲をと思っていた。
宇宙人が一人一つだけお気に入りの曲を認めてくれるなら、この曲にすると決めていた。
思い入れが強すぎた。
だからこの曲を歌うのは一人だけでもいいと、自分の慰めと、この世界の慰めを祈って一人歌い続けていた。

それから大学受験近くの時から深刻なうつ病になり、
そもそも心が辛くて辛くて、景色が白黒になる時間を過ごして、何もかも止まった。

大学時代~。

相も変わらずあの頃から今も堂本剛を一人で永遠に歌い続けている。
他にも歌える曲は沢山あるけども、沢山の曲があっても、変わらず彼の曲がある。
そうすると、なんだか歌ってしまう。
そうすると祈るように歌ってしまうから、なんだか一人の時じゃないと歌えなくて…。

自分の人生に関しては、

この記事の導入で話をしているが、
まぁ波乱万丈という言葉が一番しっくりくる。
だから堂本剛の楽曲はいつでも心に刺さったのだと思う。
そして心が通じると感じるのである。

堂本剛という象徴。

私の中で一番最初に好きになった人物だと思う。
それは”憧れ”だったと思う。

最近になって、kinki kidsの「Secret Code」という曲のPVが上がって、

お陰でkinki kidsを知らない友達に紹介していたのだけど、
高校時代からの親友に「(剛に)似てきたね。」と言われた。
(私は女性ですが。)

それで分かった。
彼は憧れの対象で、自分がそうなりたいのだと。
単なる「好き」を越えていた事をそれで知った。
そして「カッコイイ」の象徴だという事に。

私の中で堂本剛はいつの間にか自分の指針になっていた。

確かに私は女性ながらにして176㎝という長身であるから、
可愛いより、カッコイイが距離的に近いから、
イケメンになった方がいいな!
鏡にイケメンが映る方が嬉しいしな!
という謎理論の元、イケメンを磨いているのだけども、
その方向性が堂本剛だったという事だ。

まぁカッコイイからな!!しゃーねぇな!!

「堂本剛の正直しんどい」をずっと見ていたあの時は、曲の風景を絵にする事を永遠にやっていた。
心身を削りながら作成していた。
誰にも見せることはないのだけど、ただ只管描いていた。
その中にいる自分の分身は時に暗号として「堂本剛」を忍ばせた。
知らず知らずのうちに潜り込ませた新しい人格の中にも入っていた。
それを知っている。

だから小学生の時からの付き合いのあるキャラクターの中にずっと芯になって存在する。
それはただ自分が感じただけの彼の姿だから、きっと形骸化している。

でもそれぐらいずっと長く、ずっと変わらずそばにいる。

堂本剛の自伝本を読んだことがある。
あの本を読んで知ったのは、彼が生きているのは偶然だったという事だ。

今になって思うのは、
私も同じく、私が生きているのは偶然だった事だ。

それぐらい命の危い時期があった。
これからもあるかと思うし、
そもそもつい最近まで危うかったのは、内緒だ。


私が知る限りの堂本剛はきっと今の彼ではない。
あの時からずっと止まったままだ。
でも今Youtubeから突然現在の「堂本剛」が溢れて私は、
嬉しいと同時に、私は何も知らない事を実感する。

私は本当に彼を何も知らない。
アーティストとしての一辺を、
象徴としての一辺を、
自伝の中の一辺を知っているだけに過ぎない。

私はあまりに聖域と化してしまっているから、
私の全てであると言っても過言ではない。
でも彼を全て受け入れているわけではないから、
まだ人間らしい私を感じる。
全て受け入れてしまいたいと何度も飲み込んで、
それで何度も葛藤して、
それからそれはそれでいいと思ったくらいには
ずっと向き合ってきたテーマだった。
彼はその象徴だった。


その影響か、
人生の転機がある近くになると、堂本剛の夢を見る。
だから逆に「転機が近づいている!」と知る。
これはもう15歳くらいから今までずっとあることだ。
無意識化でこれだけの影響力を持っているのは、未だに彼だけだ。

余りに影響力がありすぎるから。
でもそんな存在であり続ける事を特に問題とはしていない。

今は久し振りにギターを引っ張り出してマルチエフェクターで遊んでいる所だ。
そんなギター熱の一つも彼の性だ。


今彼にも転機がある時期だ。
私は彼が生きやすくなればそれでいい。
どんな形でもいい。
それが大切だ。

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