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#6 丁寧に何かをするってのは魂を託すことなんじゃないのかね

今朝起きて、すぐにカレーとコーヒーを食べて飲んだ。食後の食器をいつもより丁寧に洗ってやろうと思い、大した量のない食器を20分くらいかけて丁寧に洗ってやった。

泡とスポンジで洗って、布巾で水気を取って。流れ作業ではなく皿一枚一枚にそれぞれやる。

こうやって丁寧に食器を洗うといままで気づかなかったような食器の傷だとか色落ちだとかに気づく。だからと言って何をするわけでも無いけど。

丁寧にモノを扱うと、今まで見落としてたことに気づくし自分の思い入れも深まる。

そこに存在していればただの「モノ」だけど、大切に扱ってあげればそこに自分の思いが乗っかる気がするのだ。

それを平易な呼び方で「魂」としてみた。

書いているうちにモノだけでは無い気がして来た。人に対しても同じなんじゃ無いだろうか。

丁寧に人と接して関わっていくことで、自分の「魂」をちょっとだけ託すことが出来るんじゃないだろうか。

よく法事でお坊さんが「人は二度死にます」って話をするのを聞いたことがあると思う。

「一度目は肉体が死んで、二度目は皆の記憶からその人がいなくなることだ」っていう、アレだ。

「記憶から」というかその人と関わった時に託された魂がいなくなる、と考えてみたらどうだろうか。

そう思うと、人の中に自分の魂を残したいなぁと思うし、逆にこの人の魂は自分の中に住まわせてあげたいなぁと思うこともあるんじゃないだろうか。

いずれにせよ、丁寧に何かに臨むってのはいいことだなぁと。

さ、丁寧に歯を磨いてこよっと。

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